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私は学校が大キライ
学校でトイレに行けない子どもたち
トイレの神様は、女神なら水の神ミズハノメ。
男神なら火の神ウスサマ(アグリと同一神)。
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以前、かなりの子供が、学校でうんちが出来ないのは、大問題だと投稿しました。
女性からは真剣なコメントがありましたが、男性からは、笑い話、とるにたりない下ネタという反応があり、とまどい怒りました。
私は学校が大嫌いです
トイレさえも抑圧の原因になる学校という空間は、非人間性の極みではないかと、考えます。
高校の教師は、高校生に学問する資格などない。大学受験で一流大学に進学できた者だけが学問をする資格がある、と妄言を吐きちらし、私は不登校を貫きました。友人は教師と対立し退学し別の高校に一年おくれで再入学しました。私の母は、退学は人間のくずだと教師に洗脳され、在籍したままレポートで卒業扱いにしてもらいました。
さて、学校教育は学問でないのか、はともかくとして、心も身体もその束縛に耐えられない人間もいて当然です。
夏休みが終わり、最初の登校日、9月1日は、子供の自殺の特異日なんだそうです。学校へ行くぐらいなら、死んだほうがまし。一部の子供の異常にすぎないと、関心を持たない方が大部分でしょう。
学校へ行かなくても、学問は自由にできるし、人生の選択はいくらでもある。
そんな発想は、出来なくなってしまった。
学問そのものに、根拠のない権威主義がふくまれているのではないか。
知識の起源を探求する現象学に希望をつなぎながら、いろんな体験を出来た、すばらしき人生だったと自賛します。アルチュウになったのも、亀井水にであえたのも、知識の現象学の展開として貴重な基礎となりました。
さて、学校に行けなくて自殺する子供たちには、生きる場所はないのか。
水の神、火の神が支える命を、喪ってほしくない。生命力の喪失に、慚愧しない社会は恐怖しかない。
トイレにもいけない、学校という空間。その閉塞性は、容易に命も奪う。
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