雀に心があるならば
雀を理解する事はできるか
理解するためには
心というものは置いておく
人間以外には心はないんだと
そして雀の習性や行動を記録する
しかし
雀にも心があると感じるなら
それを理解することは不可能に近い
雀を理解できなくても
雀は私を安全な生き物と認知し
集まってくる
はたと気がつく
人間には人間を理解する能力があるのか
人の痛みを理解しなさいと人はいう
痛みに苦しんでいる体験を追体験したら
痛くてたまらないだろう
人の痛みは直接感受出来ない
出来たら気が狂う
私は常に限定的で歪んだ意識で
何かを理解したつもりになる
科学者は科学とは仮定に基づく言説だとする
だから時にその根本仮説が変わる
人は常に仮説のなかにしか生きられない
だから信念を持ってはならない
という信念を持ちながら
物事を理解する
新たな知性が必要なんだと
雀を見ながら考える
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?