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仏教を国是とさだめて1400年存続した日本は稀有な国~和の心を喪えば滅ぶ
見出し写真は、四天王寺西門壁画阿弥陀如来に著者アバター
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陳舜臣さんの「中国の歴史」文庫本が出たとき、全巻買って通読しました。
知識としては、全消去してしまいました。
ただひとつ憶えているのは、中国では仏教を国教とした国は短命に終わる、という見解です。
民族の興亡激しい大陸では、非暴力、厭世的な仏教では国を守れない。
国家宗教として仏教はあまり有効とは言いがたいが、民間では学問として命脈をたもつ。
ところが、聖徳太子以来、日本では国教として仏教が維持されてきた。天皇制もそのなかで洗練されてきました。
世間虚仮、などという言葉が、権力者により語られる。
辺境の島国では、権力者から下々の民まで、仏教的諦念を語る。
この、ふにゃふにゃした社会は、時に付和雷同の無責任に流されもします。そして、権力者は誰も無責任にふにゃふにゃしていても許される。
それは、仏教のもつ論理性や倫理観を、教養として身につけてこそ、機能する、ふにゃふにゃなんでしょう。
無教養なふにゃふにゃは、たちまち滅亡するのがオチてはないか。
聖徳太子から1400年、このふにゃふにゃした、和の国の起源を、再度語りたいです。
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