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風が吹いたら桶屋がもうかる~連想と論理のちがい

風が吹いたら桶屋がもうかる。

要約すると、埃が舞い上がり失明する人が増える、昔は盲人の職業は三味線ひきが代表だったから、三味線が増産され猫が殺される、と鼠が増えて桶をかじる。


一種の笑い話ですが、実は、科学や哲学の基礎を学ぶとき、重要な問題をはらんでいます。論理を偽装して、こういう連想が語られがちです。


最近も、Covid19のパンデミックの情報に、まずマスクが買い占められました。これは、理解できます。

すると、次にトイレットペーパーの買い占めがおこりました。これがわからない。

世の中で災厄がおこると、トイレットペーパーの買い占めに走る。ここには、一抹の道理もありません。なんにせよ、トイレットペーパーだけは買い占めなければ、という強迫観念だけで動かされる人々がいる。それが、伝播する。

知識や論理が、強迫観念に支配される。

人間の知識や思想の多くが、強迫観念にすぎない、のではないかと疑ってみなければならないわけです。

論理的にはハチャメチャでも、しょっちゅう聞かされていると、信念になる。

後付けで、一見緻密な論理が生まれることもあります。科学では、根拠の薄い仮説、恣意的解釈を指摘する批判に、時間と人員をたっぷり投入します。

しかし、科学的な作業に習熟しているのは、科学者の一部でしょう。

知識と信仰の区別がつかないのが、凡人の悲しさです。


鼠がかじるのは桶ばかりとは限りません。

大量殺戮された猫の怨念や、いかばかりか。

と軽くいなして、知識を相対化する柔軟さが大切である、と駄弁をしめくくります。

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