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【普通の人生に迷った人に】信号のない道を行けない大人たち

信号機のない道でなかなか渡れない人がいる。
安全の確認は十分にした。でも理由はそれだけではない。
はるか彼方にある車を眺めて、その中にいる人間の顔色を窺って、卑屈に身を屈めて、彼が止まってくれることをどこかで期待している。
本当はさっさと渡った方はお互いのためであるのに。

年を重ねれば重ねるほど決断力は鈍り、また次があるから、また明日があるからという思考に陥る。
やがて思考は行動になり、彼は自分でも気がつかないうちに怠惰の権化になっていく。
あるとき彼の人生にとってとても大切なことを失ってしまう。
そのとき久しく彼は、次なんてないかもれれないってことに気がついて自分が許せなくなる。

遠慮したと思った。なんとなく、その方がよく思われるって、そう思った。
それは優しさではなく、自分が傷つかないための心理的な檻だった。

それがわかって、彼は虚無に陥った。

虚無ボワ


全ての社会的動物は相手の顔色をある程度窺っている。

海外では〜と大雑把に海外ではあたかも誰もが人の顔色を気にせずに自由に生きれるようなことを言う人が時々いるが、もちろんそんなことはない。
氏族文化の色濃く残る地域、社会的信用システムに縛られ本音が言えない国(スウェーデンなどが有名だ)、ほとんどの国はある程度不自由だ。日本よりしがらみが強い国だってたくさんある。

日本だって、漫画やアニメという異質な文化が今になって世界を圧巻しているけれど、これが「普通」化されなかったらきっと、今以上に鬱屈とした世の中になっていただろう。

ほんの20年前までは、アニメ漫画ゲームなどオタク文化は犯罪の温床としてメディアで大々的に取り上げられていた。それが今や、大企業がこぞって人気漫画とタイアップをしたがる。


「普通」とは数の論理だ。
人気投票だ。

増えれば増えるほど、それは普通になる。よくよく考えてみれば、飲酒だってなんだって、そうだ。

だからマーケティングはそれを盾に取る。こんな沈没船ジョークがあったはずだ。

誰が船から海に飛び込むか?


アメリカ人には、「ここで飛び込めばヒーローになれますよ」、と言う。
ロシア人には「海にウォッカのビンが流れていますよ」
イタリア人には、「海で美女が泳いでいますよ」
フランス人には、「決して海には飛び込まないで下さい」
イギリス人に対して、「紳士はこういう時に海に飛び込むものです」
ドイツ人に対して、「規則ですので海に飛び込んでください」
中国人に対しては、「おいしい食材(魚)が泳いでますよ」
日本人に対しては、「みなさんはもう飛び込みましたよ」

Soranews "What is your country's streptype?”翻訳版より


最近はSNSの発達も手伝って、より多くの人間がここで言う日本化している。世界的にオタク化(漫画やアニメが好きな外国人という意味)現象が起きているのは、確実にメディアの影響だ。

またあらゆるメディアで、日本がどれだけ清潔で、便利で、規律正しく美しく・・・と表されることが多い。まるで桃源郷である。

僕らは果たして桃源郷に住んでいるだろうか。

多くの人にとっては決してそうではない……と言わざるを得ないのが現状ではないだろうか。

日本の行き過ぎたぐらいの規則正しさ、平均化、それらは普通から外れた多くの人達の犠牲の元にできている。

だから例えば、人がもし、敷かれた細いレールを外れて自分の幸せとは何かなんてものを考え始めたら、道に迷ってしまうのだ。

誰かの顔色を窺って、遠慮して、誰か他の人を優先して、いつしか自分のために頑張るなんてことも忘れてなんだか幸せではないただの虚無になってしまった人がどれだけいることだろう。

そんな自分に酔ってしまえたらどれだけ良いか、と思うが、もしそう思えなければ、多分それが君にとっての自然ではないということだ。

そしてそれに罪悪感を感じることはない。

僕らは小さな細胞がたくさん分裂して出来ている奇跡的な生命体の塊だ。
ただ一つとして同じ人はいないのだから、その少しの差が重なり合って、今ある世界の、君が今生きている国や街や共同体の普通から外れるなんてことは、少し考えれば普通なことだ。

君はもし今、迷っているなら、まず何が自分にとっていいのか考えているなら、僕は以下のことを試してみることをお勧めする。

・まずは幸せだった時のことを思い出す
→子どもの時、学校の時、何をしていた時に没頭していた?幸せを感じた?

・昨日か今日1日はどうだったのか考える
→1日の積み重ねが一生になる。このままこの状態で自分は幸せになれるか?

・もしそうでなければどのような方向性に舵を切ればいいか?
→自分を変えることのできる環境にどうすれば行けるか、考える

・大きなゴールができたら中期到達点、短期到達点、そしてそれらに到達できるためにやるべき「無理のない」習慣計画をたて、実行する
→自分で実行継続が難しい時は身近な人に頼むか、アプリやコミュニティの力など出来るだけアウトソーシングする

これらが、誰かに遠慮するだけでは虚無になってしまう大人へのアドバイスである。

おわり。

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