【進化心理学】後悔に対する恐れは期待よりも二倍強い【Bowaっとした不安に満たされる世界、ボワフア】
後悔に対して異常に恐怖を感じたことはありますか?
例えば、
・どうして期限通りにやっておかなかったんだろう・・・
・どうしてあの時助けてあげられなかったんだろう・・・
・どうして体裁なんてものを気にしてもっと大切なことに気が付かなかったんだろう・・・
あの時、あの時、全力を尽くしさえしていれば今頃/将来自分はもっと幸せになっただろうに。
僕/私は一旦このことに気がつくと、考えすぎな人によってはもうマジで人生終わったじゃん並の不安に襲われることがある。
もはや理性という人間の皮が崩れ、「なんか形のない原始的だけどボヤッとした巨大な恐怖に押しつぶされそうな状態」に陥った生き物になってしまう。
私たちの心は恐怖や不安に対してより強く防衛機構が働くようになっている。
かつてその恐怖や不安が僕らを死の危険から救ったからである。
自然では非捕食者にもなりうる毛のないサルだった時も、村や序列ができて心理的交渉が始まった時も。
敵が襲ってこないか、村八分にならないか、仕事を失い路頭に迷わないか・・・
僕らの脳は基本的に未来に対する期待に対して恐怖が二倍ほど上回るようにできている。
もちろん人によっては期待の機構が強かったり、恐怖の傾向が強かったりする。
しかし大事なのは、脳は常にこうした損失計算を裏で働かせているということだ。
恐怖は、それが表層にまで出てきた状態になる。
この後悔に苛まれて動けなくなる、もしくは将来の損失を考えて特に次の決断をしなければいけない時に動けなく事象は、神経学の中でも新しい分野の神経経済学で研究されている。
これをAnalysis paralysis、分析麻痺という。
何を勉強するべきか。
恋人やパートナーと別れるべきか。
仕事を辞めるべきか。
新しい場所に移るべきか。
などなど・・・
これらの決断に対しての恐怖も期待を二倍ほど上回る。それは、人間はすでに自分が保有しているものを失うことに対しての恐怖が非常に強いからだ。
これが、やり損ねて後悔しました案件を後に引きずってしまう理由だ。
僕らは頭の中で未来の損益計算をして、その結果をすでに持ってしまったつもりになっている。
その上で、あの時ああしていれば・・・(きっと今頃自分は幸せになっていた)
と思うのである。
なんだろうこの感じ?
そう、狸の皮算用だ。
そして私たちの脳は割と堂々とこの計算を誤る。むしろ、わざと。
この計算の恐ろしさたるや。
老人ホームで長生きをした人たちに何を一番後悔しているかと聞いた時の答えの多くはなんだったと思う?
「あの時○○しなかったこと」
だ。
○○したこと、ではない。なぜならしたことにはある程度軌道修正が効く。(完全に効くとは言わないが、ある程度)
しなかったことに対しては、ない。やってみなかったことは永遠にやってみなかったことだ。
○○には大いなる決断がつきものだ。
私たちは今までの失敗の経験を引き合いに出して(ネガティブな経験はポジティブな経験より強い印象を持つ)、将来の損益計算をして、そして最悪なことに動けなくなることがある。
そして後々、動けなかったこと自体に対して、もしくは「撤退」を選んだこと自体に対して強く後悔を抱く。それこそ、一生引きずるほどの。
難儀すぎる生き物だ。人間というものがなかなか幸せになるようにできていないのが良くわかる。そもそも幸せの総量って決まっているのだろうか?それはまた別の機会に考えることにしよう。
僕の好きな進撃の巨人でも、リヴァイ兵長が巨大樹の森でエレンに言った。
まあエレンはその結果大いに後悔しているわけだが・・・
でもそれは進撃の巨人がそういう作品だからだ。メタ的に言って、エレンの選択が彼に幸せをもたらすことはないそういう予定調和だった。
僕はこれをアニメで初めてみた時、よく分からなかった。
なんだか現実っぽくない、浮遊感のあるとさえ感じた。
兵長なんで今これを言うんだろう?
俺には分からないから部下にやりたきゃやれって、私情入っていないか?
そもそも結果がわからないってなんだ?当然だよな?
でも今ならわかるような気がするのだ。
彼の言葉がどれだけ真実だったか。
そしてこれは進撃の巨人世界の中の話だけではない。
もちろんこの「未来の結果」がわかるかどうか、と言うのは漫画のラストにかかる超重要シーンだった。
しかしこれは、現実を生きる私たちに向かってかけられている言葉でもある。
これは諫山先生の明確なメッセージだ。
それは、先生が人生に対して大きな決断をして(父親に馬鹿にされ辞めろと言われた漫画を描き続け、上京し、持ち込みでひどく断られても最終的に進撃の巨人を世に出した)得たものがあったからだ。
賭けと代償。
これらを避けて何かを得ることはできない。
まあ、何も世は中世や、戦国時代ではない。
自分の判断で仲間を死なすことはない。
自分の手や足を失ったり、死んだりすることもまあ、ほとんどの状況ではない。(エレン😭)
だが僕らの脳機構はその時代からほとんど変わっていない。
だから、僕らはバックグラウンドで脳の導き出す計算を信じて大いに傷つく。恐る。そして最悪、決断を避ける。でも結局、生き延びれば、その決断を避けた決断自体を一番後悔することが多いのだ。
クソゲーかな?
だからまあ、結論としては兵長の言う通り「やりたきゃやれ」なのだが・・・
まず前提として僕らの脳内でした計算は大体間違っている。
というか、現実に即していない。
それは計算ではなく恐怖計算であることが多い。ボワフア(ボワッとした不安に苛まれる原始的な強迫観念)だ。
これらを克服しより良い決断を下せるようになれるにはどうしたらいいだろう?
それには以下である。
・注意を外に向ける(人と話す、自然に出て五感で感じる)
・情報を集める(一番いいのは直接人の話を聞くこと)
まず、注意を外に向けるのはなぜか?
このボワフアに襲われている人は思考が内向的である傾向がある。
もしくは外交的であっても、人とあまり話さない人とかだ。
人と話さないと、自分の経験則しか頼れない上に、ボワフアが出てくるので、あまり現実的ではない判断を下しがちである。
だから人と話せという話だ。人と話せなければ動物と触れ合う、自然の中で気にさわる、などでもいい。
感覚を外に向けることが大事なのだ。
そしてさらに、自分の求めることをすでに得ている人たちに直接話を聞くこともより現実的な選択をするのに役に立つ。
そんなこと言っても相手に面倒くさがられたらどうしよう・・・
そんな人が周りにいない・・・
その時点でボワフアになっている。ボワフアになっている場合じゃないんだ。
その不安計算、多分間違っていますよ。でも合っていたとしてもなんだ?
やってみて軌道修正する。その方が何もしなくて脳内で最悪な想像をこねくり回しているよりずっとマシだ。
一番良くないのは、ボワフアになったまま決定をすることを引き伸ばしにしてしまうことだ。
やった時点で、選択をした時点で、少なくとも選択をしなかった時よりは後悔は少ないと言うことを覚えておこう。
Analysis paralysisと対策については、アメリカの精神科医の説明動画を参考にしました。おすすめ
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