見出し画像

セクシャリティのカミングアウトを受けた日。(恋愛エッセイ#34)

最近身近な人から、カミングアウトを受けた。
カミングアウト、そう告白である。
告白の内容はLGBTについて。
セクシャリティについて。

これだけLGBTについて知られるようになったなかで生きているのに、不思議と自分に起きた初めてのことだった。

同性パートナーシップが認められている自治体も増えているし、だんだんと身近になっていると思っていたけれど、そう思っている本人(ぼく)がカミングアウトをされて感じたことは、「思っていたほど身近でない」ということだった。

なぜなら、実際にLGBTの友だちもいなければ、家族もいなかったから。
そう目の前に一人もいなかった。

こうやって書いている真夜中のぼくのあたまのなかは「セクシャリティってなんだ」と、正確に説明できない言葉が泳いでいるし、一歩掘り下げて考えようにも、全然知識がないというのが本音である。
仮に知識があっても、どう説明するのが正しくて、どう理解することを自分は求めていて、とかいろいろ考えてしまって、どうにもよく分からなくなる。


それでも分からない頭でシンプルに「パートナーシップ制度」とグーグリングしてみると、この3月までですでに全国で11の自治体、この4月1日からは新たに9の自治体がパートナーシップ制度を導入していることが分かった。
そして、パートナーシップ制度の定義についても、渋谷区のホームページの説明を見てみた。

(渋谷区公式ホームページより引用)

実際に説明の文字を見るだけでも、いかに分かっていなかったというか、分かっていたふりをしていたという自分に気づいた。
前の職場では「LGBTの人も結婚休暇とか、忌引休暇とか取れる制度があればいいのに」と人事の課長とか次長に訴えていたにもかかわらず。恥ずかしいかぎり。

これから少しずつ勉強していく。


話をカミングアウトされた瞬間に戻すと、ぼくは驚かなかった。
知識がないことに気づいた今ではあるけれど、そういう時代という感覚はあったかから、心のどこかでいつかこういうときが訪れると思っていた。もちろん、決して誰かを特定することはなく、うまくいえないけれど、自然と誰かから話をされると思っていた。

それでも人間は不思議なもので、初めての経験をするときには、心臓の鼓動が早くなる生き物らしい。例えるなら、まるで初めて女の子の前で裸になったときのような感じだった。

その日の帰り道、ぼくはその鼓動の速さの正体を探った。
いつものように「また」と手を振ってあの人と別れた駅の改札から探った。

その人は同性が好きだった。そして異性も好きだった。

その事実が鼓動の速さの正体ではなかった。

はっきりと今でも掴めてはいないのだけれど、おそらくあの人がどういう想いで、どういう緊張感で、これまで生きてきたのだろうということの想像体が正体なんだと思う。

人には言えなくてツラかったのかな。
初めて人に言ったときには絶対緊張しただろうな。
話したら嫌われてしまうとか考えてしまうのかな。

ぼくはその人にはなれないし、完璧に同じ気持ちにはなれないから、こんな想像ではとてもでないけれどきっと足りないし、正確でないと思う。でも、あの人の気持ちを考えると今でも心臓のあたりが、締め付けられるような気がする。
涙も出てきそうな気もする。

あの人は笑顔で「聞いてくれるだけでいいんだよ」と言った。


ぼくはあの人の気持ちが全然分かっていないと思うし、勝手な想像しかできないし、大切な人だから寄り添いたいと思うけど自分勝手な気もするし、ふと考えるとなにが正しいのかが分からなくもなる。きっとカミングアウトが正しいというわけでもないかもしれない。

今は「知る」ことくらいしかできないのかもしれない。
それで全然足りないような、足りているような、温かいんだか冷たいんだかよく分からない洗面所の水道に触れているような、そんな感じである。


それでもぼくは純粋に、カミングアウトしてくれて、とっても嬉しかった。
もしかしたら生きてるってこういう出来事に触れることなのかもと、思うほど嬉しかった。

いつも素敵な笑顔で笑っているあの人が、これからも笑顔で過ごせるように、欲を言えばもっと笑顔になるような、そんな社会になればいいなと思う。


「コーヒーと紅茶どちらにします?」の答えと同じくらい気軽に、セクシャリティについても話せる社会になったらいいな。






かめがや ひろしです。いつも読んでいただきありがとうございます。いただいたサポートは、インプットのための小説やうどん、noteを書くときのコーヒーと甘いものにたいせつに使わせていただきます。