相手とのバランスをとっているようで自分のなかのバランスをとって今日も関係を続けている。(恋愛エッセイ#38)
最近1122【いいふうふ】というマンガを読んでいる
仲良し夫婦のいちこちゃん(妻)とおとやん(夫)は些細(実はそれがとっても大きい)いちこちゃんの一言でセックスレスになってしまい、おとやんはお花教室で出会った美月さんという奥さん公認の「恋人」と不倫をしている。
3人のなかでうごめく感情と夫婦の在り方、信頼関係、相手への思いやりなどいろんな気持ちに包まれながらここ数日「んごぉぉぉ」とお腹と胸を掴まれる思いで読んでいる。(語彙力)
先週の土曜日、高校のときのクラスの友だちとの飲み会に行った。
仲がよいのでいつもいろんな話になるのだけれど、そこで結婚している友だち(女性)が飲み友だちと関係を持ってしまった。と一言。
「えっ、えっ?」別の友だちが聞き掘っていく。とてもいい反応である。
供述によると(言い方)一応複数回とのこと。
(複数回の意味は、特定の人との複数回も、不特定の人との複数回をも意味している)
少し引き気味になるテーブル。少し焦げるお通しの目刺。やや焦げ気味のそれを食べるぼく。
こういう話はよくスタバでも聞くことができる。
半年くらい前にも、女性の2人組がフラペチーノ系の飲み物を飲みながら結婚についての話をしていた。2人のうち1人に長くお付き合いしている彼氏がいて、お互い結婚はないと思っている。別れ話もたまにするらしい。
はい、ストップ。
別れ話をしても、別れていないということは、まだ付き合っているということなのですか。そうですか。
続けて。
年齢的にも35歳だし、そろそろうだうだしている場合ではないなと。でも彼とは長く付き合っているから、なかなか切れない。
半同棲のような生活だったから彼の家に荷物はあって、家に行くこともあって、たまに体の関係もある。とのこと。
恋愛に情はつきもので、長くいるとその感情を持つことが見えないマナーみたいになってしまうこともある、なかなか離れられないというのはそのとき分かる気がした。
いいふうふを読んで、友だちの話を聞いて、スタバでお姉さんの話を盗み聞きして思ったのは、みんな相手とのバランスを保つためじゃなくて、自分のバランスを保つための行動なんだな。ということ。
旦那さんや彼氏と関係が悪くなって、でも離婚したり、別れたりはできない。なんでだろ。寂しかったり、周りからなにか言われるかもしれないし、現状維持のほうがなんとなく穏やかでざわつかない生活が送れるからだろうか。それゆえに、一時的な関係ができてしまったり、もともとプラスティックの容器に入れられたプリンがプッチンとされるとだんだん原型がなくなっていってしまうような関係を続けてしまうということなのだろうか。
きっと、きっと、失いそうになる相手との関係のバランスを取るためでなくて、自分を自分で支えられなくなるからなのだ。
やっぱり相手を失うのは恐い。
”相手”という目の前に見えている存在を失うのは恐い。
でもきっともっと恐いのは、相手を失ったときの目に見えない自分のなかにある虚無感とか切なさとか悲しさとか、そういう感情が見えて、感じられてしまうことだ。
やっぱり大切だった、今ここにいてほしい、でももう目の前にあの人はいなくて、もう目の前に現れることはない。どうしたらいいのかわからない。
あのときの感情を味わうことの方が、もっと恐い。誰だってそうだ。
だから自分で自分を支えるために、自分の足でなんとか立ち続けるために、今日も関係は続いていくのだろう。
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