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電車での経験。

こんにちは。
【一歩一歩焦らず。】のkame君です。

今回は具体的な症状を回想してみます。
この症状をきっかけに様々な症状に敏感になってしまい、家族の進めもありメンタルクリニックに通院してみる事になりました。

29歳の年はじめの2日。
嫁の実家から電車で私の実家に向かう電車の中、突然の事でした。
初詣の方が多く乗車される路線で、人がたくさん乗っていました。
嫁は妊婦さん、私はトランクを持ち、特急に乗った時点でびっくりするぐらいの汗がでてきました。
「妊婦さんには辛いだろうなぁ」「トランク隣の人に邪魔だろうなぁ」「これ以上乗ってこないでほしいなぁ」と考えていた記憶があります。

★今思えば、私の身体から危険信号が汗というかたちで知らせてくれていたんだと。
もともと、緊張する場面や人前で話をする際だけではなく、汗かきではありましたが、今は「ボタボタ垂れるような汗」の時は危険信号が身体からでていると思うようにしています。

そんな事を考えながらある駅に停車した時、またまたたくさんの方が乗ってきました。私はとっさに妊婦さんの嫁に声をかける余裕もなく、人をかき分け必死に電車から飛び降りてしまいました。
完全な過呼吸状態を経験したのは、これがはじめてでした。
なによりも、妊婦さんの嫁をほったらかしで電車を飛び降りてしまった自分に異常を感じたのを覚えています。
ホームに降りて少しすると症状は落ち着き、そのあとは空いている各駅停車に乗り、なにごともなかったかのように実家まで帰りました。
まだまだこの時点では、自分自身も周りも症状が更にひどくなるとは考えもしませんでした。

★この症状がでた当時の私は、仕事で「自分としては大きな負担」と感じる裁判を会社で担当していたり、妊婦さんである嫁さんへの心配、子供が生まれてくる喜びや環境への準備、生活環境の大きな変化があった時期でした。
今思えば、「自分の器(キャパ)のサイズ」を把握できてなかったんですね。器(キャパ)から溢れてしまい、身体が危険信号をだしてくれたんだと思います。
当時はこんな症状は気持ちの問題で、「自分は弱いなぁ」「もっとちゃんとしないと」「まだまだ仕事も男としても頑張らないと」と、今では自分の中で禁止している考え方で乗り越えようとしてました。
この時点で、自分の器(キャパ)を知り、周りへ素直に相談し、自分を美化しなければまた結果は少し違っていたかもしれませんね。

この記憶のインパクトが強く、「乗り物」「人ごみ」「閉鎖的」に対しての予知不安といまでも仲良く付き合ってますw

こういう症状が、パニック障害を意識していない状況ででた際は、まずは「無理をしない」「がんばらない」「相談する」のどれか一つでもしてみて下さい。その時はそんな考え無理だと思うと思いますが、長い年数で考えるといいですよ。
「今だけがすべてではない」「なるようになる」

その当時は、私はそれができなかったんですがw

次回からもひとまずnoteに慣れるまでは、文章力とか気にせず、回想と経験を書き続けてみます。
※文章で書くより、話に答える方が簡単ですね。。。

【一歩一歩焦らず。】

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