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底力

2021/12/13(月)


今日も14時間寝た。
そして19時現在、眠くてあくびが止まらない。
今日は今週の心地いい過眠と少しちがい、うつが混じっている。

今日うつが混じっているのは、昨日「底力」を使ってしまったことが原因だと思う。
底力を使ってエネルギーが空っぽになり、今日うつうつとした気持ちがあるのだと思う。

私は昔から底力をすぐ使ってしまい、結果的に動けなくなるということを繰り返してきた。
その日どうしても、やらなければならないことややりたいことがあると、死ぬ気で底力を使って出かけていっていた。
たとえ化粧もできず服も選べなくても、全身冷や汗で震えていたとしても、だ。

そうしてでも出かけていったのは、やらなければいけない所に到着したり、その日会う友だちと楽しい会話をしたりすると元気になっていたからだ。

しかし問題は、いつもその後だった。
底力を使い果たすと、全く動けなくなってしまう。
そしてその状態が続いてしまうのだ。

また別の意味で辛いのは、用事を果たしたことや友だちと楽しく過ごしたという客観的な事実によって、周りからは「動ける」「できる」「元気である」という評価をされることだ。
予定をこなした後、病状が悪くなった私の状態を誰も見ることはない。


しかしそういう悪循環が分かっていても、私は懲りずに底力を使って予定をこなしていた。

出かけたほうがその日家の中でうつうつと後悔のような気持ちで過ごすよりも、余程いいと思っていたからだ。
またもっと大きな理由は、出かけることで用事にしても楽しい予定にしても、自分が人から求められていたこと(約束)を果たすことができたからだ。

私はそれによって、自分の存在意義を感じていた。

何とも脆い自己肯定感だが、でもその時の私にとってはその自己肯定感でさえ自分を生かすために必要なものだった。


今は治療がうまくいって、自己肯定感もずいぶん安定して持つことができるようになった。
自己肯定感を求め、底力を乱暴に多用することもなくなった。

また大抵の予定は振替がきくし、友だちも私が体調不調を理由に断ってもそれで友だちをやめる訳ではないと思えている。
それで疎遠になる友だちがいてもそれまでだとも思える。


いずれにしても一番いけないのは、底力を使い過ぎて動けなくなってしまうことだ。

そこまで分かっているのに、現実世界では完全に自分が底力を使わないように行動するのは難しい。
そして自分の体力のなさや自己管理の甘さを反省し、病気と人間関係のことをテーマに考え始めたりするのである。


・・・

ここまで文章を書いて、昨日底力を使ってしまったことや、底力を使わずに生きていくことなど難しいと気付けただけでもよしとしようか。
そして昔と違ってもう少しちゃんと休めたら、すぐに回復することに希望を持とう。

しっかり考え込んで底力をまた使いはじめる前に、眠さに従って寝ようと思う。


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