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双極×はたらく? part2

2022/04/15(金)



前回は「双極性障害を抱えつつ働いている人と私とを隔てている壁」についていろいろ考えてみた。

まず「双極はたらくラボ fes’22」のウェビナーに参加したことで、壁を乗り越えるためには私の努力が足りていないのかと考えた。

また一方で加藤医師のインタビュー記事から、壁を乗り越えるために4つの視点から治療を見直さないといけないと学んだ。


しかしながら私は、努力や治療の見直しなどが成功すれば働けるようにはなるとは思えない。

なにかモヤモヤとしたものがある。

今回はそのことについて書いていきたいと思う。



モヤモヤしているもののひとつ、それは双極性障害には障害の重さにそもそも個人差があるのではないかということである。

その人にとって、今の症状(障害)が重いか軽いかではない。

知的障害や身体障害においても、同じ病名で障害の重さに違いがあるように、双極性障害の障害の重さも人それぞれではないかと思うのだ。

つまりいくら努力してもいい治療を受けても、障害の重さによっては社会復帰できるレベルに到達できるか分からないのではないかと思うのである。


同じ双極性障害でも、入院せずに復職や就職できる人もいれば、入退院を繰り返しながらも就労支援やリワークプログラムを経て復職や就職する人もいる。


私の場合は、去年就労移行に通い3ヶ月で入院になってしまった。

何度も就活やバイトで挫折し、発病から20年近く経った今でも就職できていない。

その状況から、働いている人と私とではもともとの障害のフェーズが違うような気がなんとなくするのだ。


私は何かを一定レベルで続けることにとても障害が多い。(病気の特徴そのままだが。)

バスに乗ることはできても、毎日は乗れない。

訓練や慣れでだんだん乗れるようになるのではなく、だんだん乗れなくなる。


何度もトライして体調を崩してきた自分の経験と、働いている人についての情報の間に大きな違いを感じる。

それがそもそもの障害の重さの違いによるものということは考えられないだろうか。

もしそうであるなら、私の乗り越えようとしている壁は果てしなく大きいのではないか。


この考えは感覚的なものであり、何の根拠もない。

人生レベルの辛さや大変さで言えば、障害があるかないか、障害が重いか軽いかは関係ないと私は思っている。

そして単純に私の努力不足に対して、言い訳しているだけなのかもしれない。

また加藤医師によると、双極性障害はもはや障害ではなく、症状だという。

双極性障害は回復する病気で回復した状態を維持しやすい病気であり、障害のように一生抱えても治らないという訳ではないから「ディスオーダー(症)」になるそうだ。

最近では双極性障害の名称も双極症に変わりつつある。


だから私の考えは流れに逆行しているということになる。




しかしこの流れでは、ますます自分が働けていない原因が自分にあるように感じてしまう。

自分の努力不足を責めたり、今の治療を疑い続けるのは自分にとっては辛い。

信頼できる主治医のもとでいい治療を受け自分なりに努力し、昔に比べたら劇的に良くなったと思う。

それでもまだ働ける状態には至っていないのだ。



この時点で40代は目前である。

今の状態を受け入れて、自分らしい生きかたを貫く覚悟を決めたほうがいいのではないか。

もう心身をすり減らして、働くという壁を越えようとしなくてはいいのではないかという考えも出てきたのである。



誰しもそうであるように私にとって一番重要なことは、いかに幸せな人生を送るかということだ。


前の主治医とも、2年くらい前から「働くことと幸せ」についてずいぶん話をしてきた。

主治医は私に就職は諦めなさいと言い、それでも幸せでいられる方法を見つけようと言った。


しかし現実は、働いてお金を稼がないと生活できない。

一人暮らしをするようになって、ますますリアルにそう感じるようになった。

だから就活やバイトやお金を稼ぐということにこだわってきた。



一方いろいろ挫折を重ねる中で、「働く=お金を稼ぐ」ことではないということも分かってきた。

専業主婦やボランティア活動も働く一つの形態だ。

また最大限広義にすると、人に何らかの影響を与えて世界を動かしているだけで働いているとも言える。(つまりみんな働いている。)


もし私がお金を稼ぐことができなくても、人の役に立てていると感じられたり、やりがいがあったり、自己肯定感を得られるなら、それは働いているということになるのではないか。

そして、それはとても幸せな状態と言えるのではないかと考えてみたりする。


ただその幸せは支えてくれる人や制度があってこそ、成り立つ幸せだ。

人や制度に頼ることは、いまだに自分の自尊心や申し訳なさが先立つ。


こんな風に、お金を稼ぐこと、働くことと幸せについてなどを考えはじめると止まらなくなる。

でもそろそろ自分自身の生きかたを決める時期がきているのではないかと思う。



双極性障害を抱えつつ働いている人と私とを隔てている壁はとても大きく感じる。


しかし前回からいろいろ考えてきた結果、私はその壁を越えることにこだわらなくてもいいと思えてきた。

働けていない原因が努力不足でも治療にあっても、結果として自分の人生が幸せだと感じられればいいと思う。

幸せだと感じる基準は、何にも左右されない自分の心だ。



ただ確かなことは、自分が幸せであるためにはお金を稼ぐかどうかに関わらず、何かしら働かないといけないということだ。

働くことと幸せは相反しない。

働くことで幸せを感じたい。

そして働くことと幸せが自分の中でうまく融和していくようにしたい。


双極×はたらく=幸せ

という方式が、いつか自分の中で出来上がるといいと思う。

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