さみしいなと思いながら歩く長崎の真夏の昼

長崎に一泊二日でひとり旅に行ってきた。飛行機はマイルを使わせてもらったありがたや。今回のひとり旅は消極的ひとり旅だった。彼女と別れた。そし京都に来てから出来た友達もいない、だから誰かと一緒に行きたい旅行だったが、誰も行く人がいないので一人で行った。消極的ひとり旅はそれはそれで良かった。この瞬間にしか感じることが出来ない感情だから。さみしいなと思いながら歩く長崎の真夏の昼、なかなかそんな思いで長崎を歩いてる人はこの夏にはいなかっただろう。定番の観光地を回ったが、家族連れが多かった。「あー、俺はどんな家族を作りたいんだろ、どんな家族が出来るんだろう」と考える、そんな歳になったんだな。
観光地を回った中で特に良かったのが、やはり平和記念公園と、原爆資料館だった。様々見て思ったのは、「なんで自分はこの時代に生まれたのか、自分が昭和の時代に生まれる可能性もあったのかも」と思った。「この時代、平和かどうか言い切れる時代ではないけど、この時代に生まれたからには何か使命があるのではないか」その使命はわからないけど、それを探すために日々生きていこうと思った。不思議だよな、なんでこの時代に生まれたのだろうか、彼女と別れたことだけでこの世の終わりみたいに落ち込んでいる、
この二つの考えが両方とも頭にある。不思議。

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