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新しい道を見つけた過程 〜教師になろうと決意した日〜

大学3年の冬、いよいよ自らの進路について真剣に考えなくてはいけなくなっていました。

しかし、これまでの人生、サッカーで成功することしか考えていませんでした。人生の全てをサッカーに捧げてきました。別に勉強が上手くいかなくても、楽しく生活できてなくても、恋人がいなくても、嫌なことがあってもサッカーがあるから大丈夫だと思ってました。だから私は、サッカーがなくなったら何に興味があるのか、何がしたいのか、将来どうやって生きていけばいいのか全く分かりませんでした。

今思えば、純粋にサッカーをしたい訳ではなくて、サッカーを辞めた時の自分が怖くてサッカーにしがみついてただけかもしれません。

だから、必死に探しました。
興味のありそうなサッカーのフロントの仕事やスポーツ系の職業、興味があまり無い営業職や事務職、人事の仕事など、とにかく企業の説明会に参加しました。しかし、サッカーにかけてた熱量を捧げられるような仕事はありませんでした。

周りには仕事というのはそんなもんだと言われました。好きなことで食べていけるのは一握り。みんな嫌いなことをして生活してるんだよと、、、
でも、私はわがままだから納得がいきませんでした。




「教師やらないの?」

そんな時、ある人からこう言われました。

私自身は元々、教師という職業には興味はありました。大学入学を決めた際も、保健体育の教員免許を取得できることも理由の一つでした。
ただ、私はリーダー気質ではない。圧倒的なリーダーシップを発揮して集団をまとめることは苦手だし、大勢の前で喋るのも不得意です。それに加えて、子どもは嫌いではないが好きではありませんでした。

高校生の時も、運良く主将を任されたものの、過去最低の成績を残し、外野から有る事無い事沢山言われてきました。だから、そんな私が教師をしたら未来ある子ども達に失礼だと思っていました。


でも、、、

「だからこそいいんじゃないの?」


その一言で人生が変わりました。

主将という重圧に耐えきれず、隠れて毎日嗚咽と原因不明の腹痛が止まらなかった日々、顔も知らないOBや後援会の方にボロクソに言われた時間。他の人が体験してきてないような辛い経験がお前の財産なんじゃないの?と言われました。

その時に、どこか自分の中で腑に落ちた感覚がありました。今まで、不甲斐ないと思っていた自分の過去は、見方を変えればかけがえのない財産だと気付くことができました。


「失敗した人でないと、失敗した人に心を寄せることはできない」

という言葉を思い出しました。私の人生の失敗は、きっと子供たちを助けることができると確信しました。
学校現場には、誰にも打ち明けられないような悩みや苦しみを味わっている子供たちが沢山いると思います。そんな子供たちに、身近な大人の一人として手を差し伸べ、背中を押し、より良い人生を導ける教師になりたいと思いました。



今思えば、私の人生において両親の次に感謝している人は学校の先生です。

中学2年生の時、疲労骨折4箇所、膝の靭帯損傷という絶望的な怪我をした自分を救ってくれたのは、道徳の授業での先生の一言でした。

人の人生を変える教師になる。
これが私の新しい道である。



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