ワガママに生きること
後期の授業も始まり、大学生活も残り半期となりました。
昨日アパートの退去について話をし、家にある過去の書類を片付けてしていると、4年間の色々な思い出が蘇ってきました。
振り返ると、私は4年間とても多くのことを経験出来たと思います。
それは何故か考えた時、良い意味でワガママに自分の強い意志を持っていたからだと思いました。
「ワガママに 生きること」
これは一見良くない行動のように思えます。
日本人であれば当然の如く、義務教育の中でルールを守ること、集団の1人として迷惑をかけないこと、目立った行動はしないことを教えられます。
周囲と同じ場所で、環境で、同じ様な指導を受け、当たり前の様に進学し、大人になることを教えられます。
勿論、人間1人では生きていけません。
私も、多くの人の支えがあって生きていけるんだということも強く実感しています。
しかし、大人になると今まで自分勝手な行動をしないこと、集団の中で同じことをすることを求められていたのに、急に個性が求められるようになります。
面接でも、他の人に比べ自分に何があるか、どういった強みがあるか求められます。
勝手な私の意見ですが、成功者は皆、他の人にない個性、武器を持っていると思います。
ワガママ
良くない意味として使われることが多いで言葉ですが、ワガママに生きることで良かったことをお伝えします。
自分の夢を見つけることができた
これが、私がワガママに生きてきた上で良かったことです。
ワガママとはいっても、集団のルールを無視したり、迷惑をかける様なことをした訳ではありません。
ワガママ=自分の意思に忠実に行動する
と言うことだったのかもしれません。
大学生活、正直楽をしようと思えば幾らでも楽な道に進むことはできました。
授業も適当に受け、選択コースも先輩や同じ部活の仲間が多いコースを選択すれば、楽に単位も取れたと思います。
流れに身を任せ何となく過ごすこともできました。
でも、何のために大学に行っているの?両親に高い学費を払ってもらい、奨学金を借りてまで何で大学生をしてるの?ということを幾度となく考えた時に、楽な方には逃げられなかったし、逃げようとも思いませんでした。
結果、今ではワガママに過ごして良かったと思います。
なぜなら、もしワガママに過ごさず、周りに合わせて興味もないコースを選択し、挑戦してこなければ教師という今の夢は見つけることができなかったからです。
ワガママに自分の意思に忠実に行動し、興味があるJリーグの業界、スポーツクラブ施設に体験に行かなければ、どこか未練を残したまま目的地がハッキリしなかったと思います。
ワガママに行動したからこそ、教師という夢がハッキリしました。
先程も言った様に私は、
ワガママ=自分の意思に忠実に行動すること
だと思います。
一度きりの人生、周囲の人に流されず、もっとワガママに生きてみてもいいのではないかと思います。
これからも、ある意味良いワガママになって、自分の決めた道を歩んでいきます。
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