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プロとしての覚悟

元スタッフが利用者として戻ってきた

「男所帯ではガン末期の母の看病ができないんです。
最後の自宅生活になります。
誰かの手助けがあれば母も退院することができます。」

依頼は突然やってきた。
身体全体にガンが転移し、”桜が見れるまで生きれたら良い”と医師に宣告されたという女性の家族からだった。(今、3月14日)

難しいシフト調整になるけど、ここは踏ん張り時だと引き受けることにした。

桜の木

契約手続きが始まった。

「富田幸子」(仮名)さん
見覚えのある名前、だけど同姓同名かもしれない・・・・。
家族に看護師チームが朝晩訪問することを説明すると、
「うちの母も元看護師なんですよ。家族の介護があり退職したんです。」と。

そう話す女性の顔が、富田さんと重なった。
目元が似ている。

見覚えのある名前の女性と、私が思い描いている富田さんが同一人物ならば、弊社が立ち上がるときにスタッフとして参加をしてくれた看護師だ。


自宅での闘病生活の準備が整い、退院することになった

「こんばんは、富田さん。看護師の神戸です。」

元スタッフの富田看護師ではないことを願いながら、恐る恐る声をかけてみた。
彼女は振り返り、「その節はお世話になりました。こうやって再会できるだなんて嬉しいです。」と返事をしてくれた。
彼女の日記帳には私の名前が書いてあった。

やはり、彼女は元スタッフの富田さんだった。


6年前、彼女は弊社の取り組みをテレビや新聞で知り、「これからは必要なサービスですね。私は家族の介護をしながらだけど、新しい取り組みに関わりたい」と連絡をしてくれた。

しばらくして、彼女は家族の介護が重くなってきたから退職したいと申し出てきた。
「自分が長年病院勤務を続けられたのは家族のおかげ。今無理をしてでも恩返しをしないといけないと思う。」と。

私は「富田さんの人生はこれからも続くのだし、介護を一人で抱え込むと大変だから、息抜きに仕事に出たらいい。退職しない方法を選んだら?」と言ったことを今でも覚えている。
彼女の意思は固く、まもなくして退職した。

6年ぶりの再会までの間、彼女は家族の介護と自身のガンと闘っていたらしい。
自分自身が看護師であるからこそ、治療のこと、予後のことなどあらゆることが理解でき、”良くも悪くも”という環境にあったに違いない。
想像するだけで、冬は通り越したはずなのに、鼻がツーンとした。


医療の専門家が自身を診ることについて

認知症医療の第一人者である医師の長谷川和夫さんが認知症になった。日本で初めて認知症の早期診断を可能にした名医だ。
「自分の姿を見せることで、認知症とは何か伝えたい」と、自らの認知症を公表する。「自分の姿を見せることで、認知症とは何か、伝えたい。」と、講演活動も続けている。
約40年前に認知症のデイサービスを提唱し、実践した1人が長谷川さんだ。家族の負担を減らし、認知症の人の精神機能を活発化させ、利用者が一緒に楽しめる場所の重要性を訴え続けてきた医師だ。
長谷川医師自身がデイサービスに通い、その感想を言う、
「医者のときは『デイサービスに行ったらどうですか?』って、そういうことしか言えなかったよね。少なくとも、介護している家族の負担を軽くするためには非常に良いだろうくらいな、素朴な考えしか持っていなかったよ。『今日は何がしたいんですか?したくないですか?』っていうことから出発してもらいたい。ひとりぼっちなんだ、俺。あそこに行っても。」「NHKスペシャル 認知症の第一人者が認知症になった」 より

今、彼女は私との再会で何を考えているのだろうか。
看護師しか分からない特別な感情があるのだろうか。

人生の最後、しかも場所が自宅ともなれば、
自分の病気のこと、身体の隅々、家族関係など、他人には見られたくないことが沢山あるはずだから。

彼女はガン治療と闘ってきた。
大腸がんになれば人工肛門を臍の横につくったし、
おしっこの出が悪くなれば、管を付けて、おしっこを溜める袋をぶら下げて生活をした。

人工肛門から出てくる便を処理する彼女と、
その治療の決断について語ることがあった。

「自分の病気や治療については全部自分で決めてきた。
だって自分の身体のことだもん。」

病気に関わることすべてを自分で決断してきた彼女。
葛藤もあったに違いないが、人生の先輩として”すごい”と思った。


自分に誇れる仕事を作る

桜が咲くころまでガンの痛みを和らげるような生活が続く。
彼女の言動は看護師として、そしてひとりの人間として生きていく姿から学ぶことは多いと思う。
彼女が大切な時期に私たちのサービスを選んでくれたことは偶然であったとしても嬉しい。

私はスタッフたちにいつも言っていることがある。
「自分が使いたいサービスを今のうちに作っておこう」と。


そして、ついにその時が来た。
プロとして精一杯受け止める覚悟はできた。




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