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「楽しく作る」と「きちんと作る」は両立できるんじゃないかな

この文章について

この文章を読んでいる方は「楽しく作る」ということをどういう行為だと考えるでしょうか。
自分に裁量がある?
チームの雰囲気がよい?
定義は人それぞれだと思います。

開発について見たり聞いたりしていると「楽しい」を優先しすぎているように思えるケースもありますし、「きちんと」のために「楽しい」の優先度を大きく下げていると感じるケースもあります。
ここのバランスをどう取っていくとよいのかな、といつも考えています。

また、「楽しく作る」「きちんと作る」ための対話が不足しているなーと感じる場面にもときどき遭遇します。

話の前提

楽しく作る、きちんと作る

「楽しく作る」は「ゆるふわに作る」と同義ではありません。
「楽しく作る」と「きちんと作る」は両立できることです。
「きちんと作る」ために「誰か個人を責める」必要はありません。
「きちんと作る」ために「障害になっていることやものを取り除く」は肯定される行為だと考えています。

対話すること

対話の大切さ

他者と協力してものを作るときには対話が発生します。

問題がチームにあるときにはチームと対話することを推奨します。
問題が個人にあるときには個人と対話することを推奨します。

この対話は「障害になっていることやものを取り除く」を目的とした改善のための行動であり、チームや個人を攻撃するものではありません。
攻撃する意図を持って発言するのはもってのほかだと私は思います。

対話の仕方

対話には、普段の振る舞いについての話題やコードレビューのコメントも含まれます。誰かの振る舞いがよくないと感じたとき、相手にしっかり伝えていける雰囲気が組織やチーム内で作れているとよいですね。

人目につくところで伝えるか、見えないところでそっと伝えるかの判断は、相手との関係性や周囲への影響を加味するとよいのではないでしょうか。
基本的には見えないところでやることをお勧めしますが、相手が人目のつくところで間違っていた主張を書いていたり言っているなら、その場で訂正する方が全体のためになると私は考えています。

対話時のプロトコル

チームおよび個人への意見や指摘が「否定」と捉えられる場合があります。
おそらく情報を発信する側は多少慎重になった方がよいですし、受信する側は寛容に構えた方がよいところでしょう。
私は結城浩先生のこの言葉が好きです。

自分から語る言葉は丁寧に。相手から受ける言葉には寛容に。これが、プロトコル。

https://twitter.com/hyuki/status/47123766169440256

意見や指摘=否定ではない

意見や指摘が「否定」と捉えられるのとあわせて、「意見や指摘は HRT や心理的安全性を阻害する」と考える人が一部存在するようです。
この考え方は HRT の精神や心理的安全性の考え方と真っ向から対立します。
当たり前ですが HRT や心理的安全性は、自分への意見や指摘を拒否する便利な盾ではありません。
それらの概念を盾にして他人からの意見や指摘に耳を塞ぐなら、その行為自体が HRT や心理的安全性の否定になり得るのではないでしょうか。

心理的安全性という言葉について

心理的安全性という言葉が誤解されることがあります。
私は「お互い奇譚なく意見が言える状態を指す言葉」と認識しています。
しかしこの言葉は「好き勝手言う / なかよしの雰囲気優先で何も言わない」のどちらかの言い訳に使われることもあります。ですから誤解を生じさせないよう、私は使用を避けることがあります。

 心理的安全性の定義については元同僚から以前教えてもらった言葉がとてもよかったので、ここでお借りします。

言いたくないけどちゃんと言わなければいけないようなことがちゃんとお互いに言えるような関係構築ができている

対話ではないもの

個人攻撃や人格批判は対話に含まれないと私は考えます。

ただし、意見や指摘がどう受け取られるかは相手や環境によります。
同じ相手、似たような指摘でも、相手のコンディション次第で受け取り方は変わることがあります。
情報の送信側は、他者である受信側のコントロールまではできません。
送信側にできることには誤解を生みにくい丁寧なコミュニケーションを心がけること、関係性づくりなどがあるでしょう。

意見や指摘に攻撃性を感じるケース

自分が相手からの意見や指摘に攻撃性を感じるケースは、おおまかにふたつあります。

ひとつは本当に攻撃的なものです。
乱暴な言葉や荒い言葉で罵ったり、感情に任せて相手に怒りをぶつけるような行為ですね。これは可能な限り避けたいですよね。

もうひとつは受け手がネガティブになっている場合です。
一般的に、人は状態がよくないとネガティブな思考に陥りがちです。

後者に該当するかもしれないと感じたときや「あー何だか他の人の話を素直に聞けないなあ」と思ったときはいったんごはん食べて暖かくして寝てみましょう。それでも相手の言葉に耳を傾けられないなら、納得できない部分があるので話し合いで解決するか、前者のケースに当たらないか考えたり、周りに意見を聞いてみるといいかもしれません。

人と人との関係について

なかよしはいいこと

仲が悪いよりなかよしの方が断然よいです。
チームを組むのは人間同士、そこで人間の感情を無視するのは難しいからです。関係や環境が悪いと、チームや個人のパフォーマンスが落ちることも少なくないのではないかと思います。
経験上、コミュニケーションを怠るとなかなか大変なことになるので、できれば丁寧に向き合ってみるといいんじゃないかなと思います。

なかよしとはどんな関係か

勘違いされることもありますが、「なかよし」だから「相手に意見や指摘を言わない」は違うと私は思います。友人が危ないことをしていたら、止める人もきっと多いですよね。私たちの仕事では「ものを作ってサービス提供してお金をいただく」という共通の目的があるため、友人関係のそれとはもしかしたらちょっと違うかもしれませんが……。

ただ、自分の意見や指摘を相手にしっかりかつ丁寧に伝えることは、基本的に誠実な行為であると考えています。
ここでも元同僚の言葉を拝借します。

いわゆる職場における仲が良い状態って、「好き勝手言う / なかよしの雰囲気優先で何も言わない」ではなく野中郁次郎の言うところの知的コンバットを躊躇なくやれる関係性だと思いますね〜

(なお自分は対人関係において「仕事仲間である / 仕事仲間ではない」で線を引くことはほとんどないのですが、そこをきっちり線引きできる人もいるようです。この辺りは人それぞれですね。)

まとめ

よいものをつくるために誰かを攻撃する必要はないですよね。
かといって、相手に遠慮して意見や指摘をしなければ、問題の改善はなかなか進みません。他者からのフィードバックはとても貴重なものです。フィードバックやアドバイスを受け入れるか受け入れないかは自分が判断することですが、いったん受け止めるというステップがあってもいいんじゃないかなと私は思います。

気になったことは相手にしっかり伝えて、相手から伝えてもらったことはしっかり受け止めてみませんか。
そして対話をたくさんしてみませんか。

繰り返しになりますが、「楽しく作る」と「きちんと作る」は相反しないものです。
私はここを目指したいなーと思っています。

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