井の中の蛙、大海を夢見る

高校時代の私は校内にほとんど友達がいませんでした。
厳密には朝に教室で会ったり昼に廊下ですれ違えば挨拶を交わしたり、授業中によく寝ていた私はよくクラスメイトにノートを借りていました。
という点を踏まえると知人は多くいた訳なんですが。
でも友達と呼べる存在はほとんどいなかったのです。


経緯として、
私の地元は一小一中とやらで公立にも関わらず小学校卒業から中学校入学の際に他地域と合併されることなく、受験や引っ越しで人数は減ったけれど実質面子は変わらずそのまま持ち上がり状態でした。
1学年80人ほどの小さな中学校で必然的に義務教育の9年、幼稚園が同じ子に関しては12年ともに過ごすというちょっと変わった環境で育ってきたわけで。
つまり最後に友達作りをしたのなんて
(転校してきた子とは他の友達を通じて仲良くなれたので除外するとして)
私にとっては6歳になる年以来の経験でした。
おまけに私が進学した高校には同じ中学の子はほとんどおらず。
いや、単にいわゆるコミュ障が発動していただけなのですが。

高校1年生の頃は友人を作ろうと努力したけどどうにも馴染めなかった。
馴染めないことを察してか、相手にも受け入れられていない気がした。
そしてその努力が無駄に自分をすり減らしていることに気付き、そこからその努力をやめました。

当時16歳の、ただでさえ面倒ごとを更に面倒に捉えがちな年頃だったにも関わらず意外とあっさりその判断を下せたのは間違いなく校外の友人たちのお陰でした。


同じ中学の仲の良かったメンバーはなんと高校が全員バラバラに。
なので放課後はよく地元のマクドナルドや公共の学習スペースに集まってはテスト勉強をしたりただただ中身のない話をしたり。

中学受験の際に親と交わした約束のうちの一つに、
高校に入学したらボイトレ教室に通うことが許されていました。
その交通費は自分で賄う必要があった為に必然的にアルバイトをする必要もありました。

ボイトレ教室にもバイト先にもいろんな人がいました。
本当に、いろんな人が。

例えばボイトレ教室。
まだ15歳の私が毎週月曜日に個人レッスンに通うようになり、同じ時間帯で通う人達や先生達といろんな話をしました。
時には夜の河原町を散歩したり、夏の休日の舞鶴にも遊びに行って。
レッスンが終わってから何時間もみんなで教室の共有スペースで過ごしていました。

みんな私より年上で、1つ2つ年上で実質同年代の人達もいれば20代の大学生やフリーターもいました。
中には私の苦手な数学のテスト勉強のため、真夜中に通話しながら三角関数について長時間教えてくれた某超絶頭いい大学に通う方も。
松澤さん、読んでるか分からないけどその節はありがとうございました。
おかげで赤点は回避できました。サインコサインタンジェントを実生活で使うことは今のところありませんが。

長女として生きてきて新しい環境に馴染めなかった私にとって、
トリッキーな人も多かったけどみんなみんな大好きなお兄さんお姉さんでした。
私よりいろんなものを視てきた人達がいつも私の悩みを受け止め
時には諭し、時にはただ聞いてくれて、そして世界を広げてくれた。
私には毎週月曜日の夕方から夜に、確かに私の居場所がそこにあったのです。


初めてのアルバイトに関しては、多くの方も同じような経験があることでしょう。
私の場合は高校に入ってすぐに、今はもうない店ですが和食のファミレスで2部式の着物を着てせかせかとホールで働き始めました。
なんせ平日の夜は暇でそれ以外の曜日や時間帯は地獄のように混む店でした。

まともに見えてモラハラ気質のどこかやばい店長、
土日の修羅場の潜り抜け方を根気よく教えてくれたパートのおばさん、
長年キッチンでフリーターをしている怖いギャルの先輩、
平日の夜の暇な時間に優しく話してくれる同じ中学だった先輩。実はちょっと好きでした。

私自身初めてのアルバイトで相当周りをイラつかせてしまったと思います。
そして業務に慣れた頃に今度はアルバイト未経験の年上の新入り女性に対して、こんな私が言うことでもないが彼女の鈍臭さにイラつくというありがちな経験もしました。
飲食店にしては珍しくそれぞれあまり仲がいいと言えない環境だったけれど、休憩室でたまにそれぞれの、仕事とは違うその人の人となりを目にする機会もありました。

英会話教室にも通っていました。
ここでは本当にいろんな出会いがあって収まりきらないのでまたいつか詳しく書けたらと。


実際のところは高校の軽音学部でバンドをしていて、それだけは楽しかったのでまだ救いがあった方かもしれませんが。

つらつらと長くて書きましたが要は私には学校以外のスケジュールが常に詰まっていました。
社会人になって何もない休日というものができて戸惑いを覚えたほどです。
だからすんなりと「高校での人間関係はもういいねん、高卒の資格がもらえればそれでいい。バンドは楽しいしラッキーやん」
と、そう思えたのです。

基本的にネガティブな私にそう考える余裕があったのは、当時は学生で大した責任がなかったからでしょうね。
社会人になれば多方面に対しての責任が生まれてしまう、
だから自ずと選択肢が狭まりレールを決めてゆく。世の中そんなもんでしょう。
そして人はいつか自分の生きている世界が全てだと思い込んでしまいがちです。

人は若い頃は己の無知さを知る機会が多いですが
大人になって“自分にとっての普通の生活”を続けているといつしかその機会も減ってしまいます。
確かに自分の知らない世界が何処かに、いや意外と身近にあるはずなのに。

最近そんなことを考えていました。


自分自身への戒めでもありますが、
世界って本当は広い。
そりゃ物理的にも広いけど生命体の数だけそれぞれ世界がある。
それをいつも念頭に置いて生きてゆきたいものです。

そしてここまで長文を読んでくださった人達の中でもし職場や学校など何かしらのコミュニティ内で辛い思いをされている方がいらっしゃっるならば。

逃げたらいいと思うけど、逃げるんも怖かったら外見てみたらいいかもしれへんで。
意外と楽になるかもやわ。

と、伝われば幸いです。

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