気晴らし

   壁の画鋲にひっかけていたはずの眼鏡がなかった。枕元や毛布を手で探るが見当たらない。隣りで寝ていた女が鬱陶しそうに溜息を吐きながらソファから降りると、鳥の細首が折れたような乾いた音がした。二人して、あッ、と声をあげた。ばかだね、と女が冷めきった声で言う。拾い上げると、縁が真ん中から折れていた。ああ、こいつさえいなければ、こいつさえいなければ、と俺は心の裡で反芻した。そのまま小便に立ったが、朝勃ちのせいで尿道がきつく閉じていて駄目だ。性器が鎮まるまで、女を殴りつける想像をしながら冷水を顔に浴びせ続けた。
 俺は裸眼では何物も見えない。小説も携帯も鼻っ柱に触れる近さでないと見られない。机の上にある、ホルマリン漬けの鱗みたいなコンタクトレンズはブクブクと泡立っていて、あと数時間はつけられないだろう。女はニュースを見るともなしに流しながら、いつも通り暢気に化粧をし始めた。なす術なく突っ立っている俺が視界に入っているはずだが、何を言っても逆鱗に触れるのがわかっているから黙している。このけったくそ悪い女から顔を背けて無考えにカーテンを覗いてみると、空の青色が部屋の中に侵入してくるような錯覚に襲われた。それは普段よりもきれいな青に思われた。このまま出てしまおうか?

 アパートの階段を手探りで降り、まばゆい光の海に身を投げた。電柱に頭を打ちつけぬよう慎重に路地を抜け、商店街に入る。ここ何年かで商店は次から次に潰れ、代わりに墓石じみたマンションが無闇と建てられた。数百もの部屋があるはずなのに、三十年もこの街に棲む俺のための部屋は一つとしてない。
 往き交う人はみなのっぺらぼうだ。涙が滲んでいる時に少し似ていると思う。陽光や店の白熱灯の光が拡大されて、いたるところにある吐瀉物や犬猫の糞尿を淡く溶かしてくれる。この視界ではセールスマンも徘徊する老人もキャビンアテンダントも乞食も同型のマネキンでしかない。俺は自意識からまったく解放されているのを感じた。十二月の冷たい風と、朝の柔らかな陽射しだけがすべてだった。小汚いはずの路地に、横溢する光の筋だけがまっすぐ長く走っている。俺の生活もこうだといいなァ、そう声に出してみる。犬のごときものを連れている主婦らしきものが振り返ったようだ。表情も何も見えないのだからまるで気にならない。バス通りから騒がしい女学生の集団が近づいてくる。イヤホンをつけて適当に音楽をかける。ゲイリーニューマンのトロワジムノペディズ。何だってよかった。気はすっかり晴れてしまっていた。

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