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「なぜ」を追求する意味
トヨタは「なぜ」を5回、繰り返すらしい。
「なぜ」失敗したのか。「なぜ」今回は成功したのか。このような現象が現れたのは「なぜ」か。
とか、一つの事象に5つの「なぜ」を問うらしい。
そうすることで真実を探究することができる。
新たな発見が、技術の発展につながるのだろう。
「なぜ」を追求する。
人生をより良くする上で、とても大切な心がけだ。
ただ
答えがすぐ出ないことに対して
「なぜ」と問い続けるのは苦しい。
中学生の頃に流行っていた加藤ミリヤが「Why」という曲を出した。この歌で彼女は、トヨタ以上に「なぜ」を好きな男に対して問いかける。
ラジオで流れてきた時、
パーソナリティーは曲紹介のあとで
「なぜってこんなに言われたら嫌になっちゃうよねぇ…。」
というようなことを言ったのを今でもなぜか覚えている。
当時の私は
加藤ミリヤの、男にいくつもの「なぜ」をぶつけたくなる気持ちに強く共感するだけで、パーソナリティーの言葉は理解できなかった。
でも今、
その言葉を聞いたら、きっと深く頷きたくなる。
答えの出ない「なぜ」を問い続けることが苦しいように、
伝えようのない「なぜ」を問われ続けることもまた、苦しい。
映画『僕が飛びはねる理由』を観た後、そんな私の思いは確信に変わった。
『僕が飛びはねる理由』は
自身も重度の自閉症を抱える東田直樹さんが
13歳の時、理解されにくい自閉症者の内面を書きまとめたエッセイ『自閉症の僕が飛びはねる理由』がもとになっている。
この本を読んだ時、問いの多さに驚いた。
内容は問答形式で、自閉症に対する「なぜ」がたくさん並んでいる。そして、その問いに東田直樹さんがわかりやすく答えている。
たしかにすべて、自閉症と診断される人たちに対して一度は感じる疑問だった。
"なぜ、突然大きな声をあげるの?"
"なぜ、同じ言葉を繰り返すの?"
でもストレートに聞くことはできなかった。
なぜなら、失礼に当たると思っていたから。
だから自閉症に対する58個もの質問が並んでいるのを見て、「こんな酷なことしていいのか」と思ったのだ。
でも、さらに驚いたのは東田直樹さんが
それらの問いに対する答えをもっていたことだ。
私は無自覚に、自閉症の人たちがそのような理解不能な行動を取ることに理由などもっているはずない、本人も説明のしようがないことだ、と鷹を括っていた。
だから混乱した。
本を読んでも、
この本に書かれていること、この本が出来上がっているということ自体、今ひとつ理解できなかった。
映画『僕が飛びはねる理由』には
各国の自閉症を抱える人とその家族を取り上げ、
東田直樹さんの言葉を擬えて、自閉症をもつ人たちの世界を音や映像で再現している。
そして、文字盤を使って対話する様子が流れる。
そこでようやく、私は
自閉症を抱える人たちにも思考する力があり、表現しようとする意志がある
という当たり前のことに気が付いた。
思考と行動の矛盾を
自閉症を抱える人自身が一番強く、自覚していた。
そして、表現する術がなくて苦しんでいたのだ。
混沌とした世界は不安だ。
だから、
人は「なぜ」と問うて答えを出そうとする。
答えがすぐに出ないと、不安はさらに強まる。
その不安を解消したいがために、
「なんで」「なんで」と無責任に
質問攻めしたくなるのかもしれない。
あるいは、
「未熟だから」「能力がないから」と勝手に
納得のいくような答えを作り出すのかもしれない。
ただこのような行為で導き出される答えは、
問いたい人の独りよがりによるものだ。
最適な答えは、問われる当事者がもっている。
理解不能なヒト、コト、モノが
世の中に溢れている。
それは、私が理解不能なのであって、
当事者は理由をもっている。
私の理解不能を理解するのは、
当事者の声に耳を傾けることから始まる。
それが、「なぜ」を追求する意味。
「なぜ」と考え、予測し、
当事者と対話することで、
最適な答えが見つけることができる。