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母のエゴサ結果に報いるために

まよまよ先生との出会い

2020年3月25日、米国ハワイ州では最初のロックダウンが始まりました。4月には州外からの飛行機が1機も到着しない日もあり、ハワイ諸島は太平洋のど真ん中の孤島となってしまったのです。

ハワイに住んで30年ばかり、あんな静かなホノルルの街を見たことはありませんでした。そして、あんなに孤立した寂しさを感じたこともありませんでした。

と同時に、今までやっていた機内誌編集長としての仕事がなくなり、感傷に浸っている場合ではなくなってきたのです。わずかながらの失業保険をもらいながら、仕事を探したのですが、日本からの旅行者が全くいないハワイではお話になりません。

ふと「ライターならどこにいてもできるはず」と思い立ち、ネット検索を始めました。でも、そんなに簡単に仕事が見つかるはずもありません。

「う〜ん、時間だけはたくさんあるし、初心に戻ってオンラインスクールで勉強でもしようかしら」と短絡的に考え始めた頃には、ちょうど春も過ぎて初夏となっていました。

いろいろな単語で検索をかけるたびに引っかかってくるのが、まよまよ先生こと野口真代さん。最初はYouTubeを見ていたのですが、「こんなの無料で出しちゃっていいの?」というほどの濃い内容をメモったり、ビデオを繰り返し見たりと大忙しでした。

まよまよ先生のYouTubeを片っ端から見て、著書「WEBコピーライター 第2の収入源を作る方法」も拝読させていただき、朝から晩までまよまよ先生の追っかけをしていたのです。

そんなある日、ストアカという習い事のサイトを知り、まよまよ先生の「WEBコピーライター:第2の収入源を作る方法」講座にたどりつきました。2千円という超破格値に釣られて、すぐにポチったのは言うまでもありません。

久しぶりの学びの場は、楽しくて楽しくて。講座が終わるとすぐに「はじめてのコピーライティング」の受講も決めました。


失業者なんだけど

もともと書くことが大好きでライターや編集者をやったり、広報やマーケティングの仕事もやってきましたが、体系的に学んだことがなかったので、まよまよ先生の講座は毎回学びが多く、刺激的でした。

まだまだ勉強を続けたいと思ったものの、次の講座は「ライティングカレッジ(ライカレ)」です。でも、ライカレは3ヶ月の長丁場。その上、講座費は30万円。早割りをもらっても15万円です。失業保険をもらっている身の上には、とても厳しい価格帯。

とりあえず無料体験会にと軽い気持ちで参加したら、「やっぱり学びたい、あわよくば電子書籍も出版したい」という思いが募ってしまいました。とはいうものの、失業者の身の上の私はとりあえず一晩だけ考えることにしました。

次の朝も決心に変わりないことを確認して申し込もうとしたら、なんと満席! でも、ここで諦めずに直談判。まよまよ先生に「どうしても受けたいんです。厚かましいですが、早割りもお願いします!」とLINEしてみました。そうすると、なんと1席あけてもらえて、ライカレ3期の最後の1人としてギリギリ滑り込み入学させてもらえたのです。


ライカレで落ちこぼれ

ライカレの最初の講座は、あまりに衝撃的で忘れることができません。緊張しながらまよまよ先生のお話しを聞き続けること約2時間。ところが、まよまよ先生は全く終わる気配なく「すみません、ちょっと延長になりそうです」と、確か1時間弱の延長となりました。

3時間ほどの講座の情報はどれも貴重で即戦力になることばかり。必死にメモを取りながら、先生の言葉に耳を傾けました。あんなに長時間にわたって集中したのは何年ぶりのことだったか。

有益情報満載の講座が終わると、頭の中で脳がチャプチャプと揺れているのがわかるほど。頭痛さえしてきました。とにかくこの脳の中にある情報を一旦外に出さなければと思い、いそいそとブレインダンプ用の落書き帳とペンを買いに出かけたのを覚えています。

40人ばかりいたライカレ同期生は、とにかく優秀な人が多かったです。文章を書かせたらみんな上手だし、課題もさっさと提出するし、既にストアカの講座で教えている人もいるし、Twitterのフォロワーもどんどん増やしています。

優秀な同期生のTwitterやnoteそしてブログをまるでストーカーのように読み漁っていたことは、今となってはいい思い出です。

2週間に1度の講座以外にも、実践会やライカレの先輩による特別講座もあります。そして、出遅れた人には出遅れ組用の講座まで用意されていました。まよまよ先生の熱意をガンガンと感じた3ヶ月でした。

毎回の講座で出る課題はなかなか大変で追いつきません。一通り済ませて、一晩寝かせてから次の日に提出しようと思うのですが、朝になるとどうも気に入らずにまたやり直し。何度やり直しても、なかなか納得のできる完璧さからはほど遠いものばかりです。

Webと違って、一旦印刷すると修正を入れることのできない紙媒体の編集をやっていると、目指すのは完璧と完全。不十分で不完全なものを世に出すなんてことはできません。紙媒体の編集者の悪い癖が出てしまいます。そうこうしているうちにますます溜まっていく課題のかずかず。


あのFacebook創始者のマーク・ザッカーバーグが

ライカレの最後の講座でふと目に留まった言葉がありました。それは、それまでの講座の中でもまよまよ先生が何度も繰り返してきたマーク・ザッカーバーグの言葉でした。

完璧を目指すより、まず終わらせろ。 Done is better than perfect.

その日、どうしてこの言葉が私の心に刺さったのかは、未だに謎です。たぶん何度も言われないと気づかない鈍感な私が、やっと目覚めた瞬間だったのでしょう。


80歳の母がエゴサ?!

ライカレの最後の最後にストンと腑に落ちる言葉を聞いた私は、なんだそういうことなんだと妙に理解して、少しずつですが、以前は壊すほど叩いていた石橋を叩くのをやめることができてきたように思います。

とりあえずやってみて、書いてみて。印刷物じゃないんだから、不具合があれば修正すればいいんだなぁと。

ノロマな亀のような私も少しずつ進歩していて嬉しくなっていた矢先、母から驚愕の言葉を聞いたのです。

「昨日、〇〇ちゃん(私の本名)の名前を、iPadの四角いところ(検索欄)に書いてチョンチョンと押した(クリックした)ら、いろいろ出てきたのよ。あなたの経歴とかあなたが書いた文章とか。すごいわね〜」

つまり、母は私のエゴサーチをやっていたのでした。そして「覚えてる? あなたの小学生の頃の夢? 小説家だったのよ。小説とか書いてたわよね。だんだん近づいているわね」と。

そうです、本の虫だった小学生の頃の私の夢は小説家になることだったのです。まさか私の子どもの頃の戯言を母が覚えているとは思っておらず、驚きながらもちょっと嬉しく思いました。

ずっと遠く離れて住む親不孝者の娘が最後にできる親孝行って、もしかしたら私が執筆した電子書籍を読んでもらうことかな、などと思っている今日この頃。構成も終わっているし、あとは書くだけの電子書籍にそろそろ手をつける時がきたのかもしれません。


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