旅の思い出①ロシア/サハリン
こんにちは。Tmk-4720(トミ子)です。今日は休みだったので、気がついたらお昼まで寝ちゃいました。色々やることあったのに、あちゃー。
最近は、例の病気のおかげで海外に行けないので、せめてもの慰みに過去の旅について振り返ろうと思います。
旅が好き
私は旅が好きです。何が好きかというと、当地でしか味わえない空気感とか、人の感じとか、日本と違うところを見つけるとちょっと興奮します。
昔ロシアに旅したんですけど、モスクワでもなく、サンクトペテルブルグでもなく、行ったのが昔の樺太、今のサハリンです
サハリンってロシアの中では、かなり田舎なんですよね。英語の5W1Hも通じない。
しかも時期が12月で、最低気温が-15度という時でした。
観光のベストシーズンは春から初夏で、本来は美しい花々を始めとした自然を見に行くようなところだったので、真冬ではそんなにみる所もないのです。
ですが、そのおかげで普段と違うところに目を向ける事ができて、なかなか楽しかったのです。
サハリンの街中
これ、なんだと思いますか?幼稚園の壁に描かれてたんですけども。
VODKA(ウォッカ)の瓶が作業着を着た男性を手荒く持ち上げてるんですよね。これは私の推察ですが、昔からロシアではアルコール中毒の人がとにかく多くて問題視されているようなんです。だから、それに対する風刺か注意喚起なのかも。
それからこれはなんだと思いますか。
これは旅行ガイドに書いてあったのですが、日本がサハリンを樺太として統治していた時に作られた日本式の石段です。
大体100年ちょっと前くらいまで、この上に神社があったんですね。
私が旅行した時には、この上は団地か何かになっていたと思います。
それから、こんな風に可愛い遊園地がある公園も散歩しました。
それから、アジア系住民がたくさんいるマーケット。
私は海外の治安の悪さにある程度慣れているつもりでしたが、ここでは久々に身の危険を感じました。腕とか荷物を乱暴に掴んで引っ張って、商品を見せようとしてくる。
サハリンには元々、アイヌやニブフ人が住んでいるようで民俗文化を紹介する博物館もありました。
樺太アイヌについては、漫画・ゴールデンカムイでも取り上げられてましたね。
サハリンの人たち
サハリンでは当時、観光客の移動はバスが主流だったのですが、冒頭でも書いた通り、ここは英語が通じません。
なんせ「バスストップ」とか「ステーション」という、単語すら通じない。
おかげでバスチケットを買うのにもかなり苦労しました。
言葉が通じない中、旅行ガイドを見せながら人々に声をかけていたら、とある白人の若い男性が私の手をガシッと掴んで、どこかへ連れて行こうとしました。
なんだなんだ!?と手を引っ張られていったら、バスのチケット売り場についたのです。
そして白人の若い男性はバスチケット売り場のスタッフに私の行き先まで説明して、チケットを買わせてくれました。
普通なら手を掴まれた時点で「ヘルプ!」と大声を出すところだったのですが、なんだか悪い人に思えなくて素直について行っちゃいました。
報酬を受け取っているような感じでもなく、そもそも観光客の少ない土地ですし、本当に善意で助けてくれたと今も信じています。
これ以外にも、現地の白人の方には(ここに関しては民族格差とか、色々と思うところがあるが…)すごく助けてもらい、お陰様で楽しく観光する事ができました。
飛行機で大体2〜3時間で着きますので、もしご興味がある方は行ってみてください。
今回は長くなるので書きませんでしたが、「生ゴミ風味ピロシキ」とか「これは本物か!?道端キャビアと毛皮帽子」とか「素敵なソリ付き乳母車」とか、面白いものがたくさんあるので。
あとがき
国内も海外もどちら好きなのですが、たまたま写真を見返していて、楽しかったな〜と思い出したので、記録として書いてみました。
私は旅行系業界勤めで、オフシーズンにしか行けなかっただけなので、みなさんはちゃんと春〜初夏のベストシーズンに行ってくださいね。
それにしても-15度、すごかったなあ。
ヘッダーはサハリンの廃墟です。
Tmk-4720(トミ子)
サポートしていただいたお金は私の緑茶代にしようかなって思ってます。