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#12 鎌倉市市長 松尾崇氏に学ぶ「伝統を守るために、変化を恐れずチャレンジをする」

 鎌倉は、ご存知のとおり、源頼朝公が日本で初めての武家政権を開いた場所です。そして武家を中心とした政治が江戸時代まで続くことになりますが、幕末には、相模国鎌倉郡大町村(現在の鎌倉市御成町)で、イギリス人士官2名が武士に殺害される「鎌倉事件」が起こります。この時、イギリス政府は犯人である武士を鎌倉で処刑して晒し首にするよう要求してきました。幕府はそれにどう対応したかというと、「鎌倉は、日本人の目から見ると神聖な場所です。処刑する場所とすることは品位を落とすことになるか、日本の人々のとても大事なところを汚すことになります。」と、拒否したのです。この出来事は、私が市長として「鎌倉とはどんなまちか」を考えるときに、大きな意味を持っています。武家政権発祥の地であり、ひろく崇拝や参詣の対象となる寺社仏閣がある鎌倉は、日本人にとって今でも神聖な場所です。

 一方、近現代の鎌倉に目を向けると、活発な市民活動が築いた歴史が目につきます。108年前に史跡保存や住みよいまちづくりをめざして発足した「鎌倉同人会」、日本初のナショナル・トラスト運動と言われる「御谷騒動」、広町・台峯・常盤山という三大緑地を守る活動などに象徴されますが、時代に流されることなく、鎌倉にとって大切なものは、鎌倉を愛する人たちによって守られてきました。

 現在でも多種多様なNPO・市民団体を、市民のみなさんが自分たちで、これが鎌倉のためになる、世の中のためになると考え、立ち上げ、活発に動いていらっしゃいます。

 市長という立場からしますと、市民のみなさんが目先のことや、自分たちのことだけではなく、鎌倉の未来を見据え、考え、行動してくださることは本当にありがたく、そうした志の高い方々とビジョンを共有しながらまちづくりを進めていくことが肝要だと考えています。

 私は子どもの頃から、地域でのサッカーや野球、カブスカウトなどを通じて、温かく、愛情あふれる多くの「格好良い」大人と触れ合う機会に恵まれました。また、私が子どもの頃、ゴミがたくさんあった七里ヶ浜の海岸をきれいにしようという活動(七里ヶ浜クリーンコミュニティ)にも父親に連れられて参加をしていました。

 それらの活動を通じて、鎌倉を愛する方々の後ろ姿を見て育ってきたというのは、私にとってすごく大きなことだと感じています。

 鎌倉市民の特性を一言で表すとしたら「バラバラ」という言葉が思いつきます。みなさん、好きなことが多種多様で、それぞれに深くて、専門性も持っていらっしゃいます。あえて「バラバラ」と申しましたが、多様性がありながらも全体としての調和が取れている。それが鎌倉のまちの魅力をつくっているのだと感じています。

 鎌倉を愛する先人の方々が、寛容性を持ち、お互いに良いところを認め合い、弱い部分は補い合いながら関係性を築くことによって、鎌倉全体を良い方向に導いてくださいました。そのことを、次の世代にも引き継いでいきたいと考えています。

 鎌倉は、「武家の古都・鎌倉」として世界遺産登録に向けた取り組みを行いましたが、登録には至りませんでした。

その際に鎌倉のお寺のご住職から『世界遺産の中には、遺跡として時間が止まっているものもありますが、鎌倉の歴史ある寺社仏閣は、これまでも、そしてこれからも、ずっと生きています。変化もしていきます。伝統とは革新の連続なのですよ。』という話を伺い、ハッとしました。鎌倉が世界遺産登録のコンセプトに合わせるのではなく、鎌倉は鎌倉としての独自性を発揮し、唯一無二のまちとして輝き続けることがとても重要だと気付かせていただきました。

 鎌倉の『伝統は革新の連続である』という精神は、現在もしっかりと受け継がれていると思います。多くの鎌倉を愛する方々が、このまちを良くするために新しい価値観を取り入れ、様々なチャレンジをしています。私自身も、そうした方々と共に、変化を恐れずチャレンジを続け、鎌倉の魅力をさらに高めていきたいと思います。

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