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東京2020オリンピックSIDE:A レビュー

毀誉褒貶かまびすしい河瀨直美監督のドキュメンタリー。公開時にはとても鑑賞できるような気分ではなかったが、いくらか心が整い始めたので配信鑑賞。
先ごろ閉幕したワールドカップサッカーカタール大会の熱量でも自明の通り、スポーツ競技が本来的に有する感動は大きい。凱旋パレードに500万人も駆けつけ死者まで出たり、敗戦国のエースに対する不当なSNSが横行したりの報に接すると慨嘆せざるを得ないし、一大マーケットとなった興行としての背景でうごめく巨額なワールドマネーを勝手に推察したりすると、スポーツ競技そのものを単純素朴には礼賛できない現況ではあるとの強い自覚はある。それにしてもこのたびの世界的厄災下にあっての日本での五輪はあまりに無理筋だったし、金権まみれすぎた。事実、関連捜査は現在進行形であるし、そもそも監督である河瀨直美その人がスキャンダルの渦中のひとりとなって、全くの先入観なしに作品鑑賞できる環境ではなかった。これについては、本人自身、その責めは引き受けるべきだと思う。
そうした本来的でない要素を、決して雨晴れて傘を忘れるわけではないが、ひとまず脇において同作に向き合ってみると、記録映画としての仕上がりは上々、随所に説得力あるシーンが並んでいると評したい。女性監督ならではの、一例をあげるなら女性アスリートと出産という主題に重複があるあたりだが、限られた尺の中で、意図は受け止めるものの、いささかもったいない思いが否めなき箇所があったが、本作で提示されたテーマは興味深いものだった。とりわけ、空手や柔道という日本発祥のものが、競技となりワールドワイドな存在となる過程で、きわめてローカルな要素であった原初的なるものが削ぎ落され、人種を超越して誰にも享受されるよう平準化、一般化することについての関係者というか一般の人々の思いへのフォーカスは深い問題提起ともなっているように受け止めた。音楽を担当した藤井風も出色。世界水準の広範さを有しながら表出される作品の世界観はきわめて個人的なものである独自色が、アスリートひとりひとりの世界舞台に進出しながら自らの内側の課題と向き合わざるを得ないというありようによく似合って、監督として藤井風を指名した河瀨直美のセンスの非凡さを本作においてあらためて垣間見るような思いである。
インサートされる雑感と位置付けられるシーンに抒情もあって、本作がこのたびのあまりに大きすぎる周辺音と無縁に生み出されていたならと惜しまれる。今回監督として身に纏ってしまったかなり深刻な色合いを払拭するにはどうすればいいのか、河瀨直美の格闘結果、身辺整理結果を待っていたい。

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