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開巻滂沱 大江健三郎『親密な手紙』(岩波新書)レビュー

 読み始めた途端、突き上げるものがやって来て、涙で活字が滲み出した。耳元では確かに、懐かしい、あの柔らかな声が聞こえる。一冊の本を愛おしく抱え、それが洋書なら時には辞書さえも並べて赤鉛筆を手に背中を丸めて没頭する姿も見えた。
 岩波の新刊案内広告を東京新聞(現在の講読紙。加藤周一も吉田秀和も亡くなって久しく、読むべき連載のなくなった「天声人語」から読み始めていた漱石とゆかり深い新聞から遠く離れてしまった)の夕刊で目に止め、翌日急ぎ書店で購入した大江健三郎の新刊、『親密な手紙』(岩波新書)は、同書腰巻の大江健三郎の文字通りプロフィール(横顔)からして、そもそも心穏やかではいられない一書である。付記によれば、雑誌『図書』に2010年から2013年に連載されたものに、氏が手を入れ、新たな章を書き加えるべく構想し実現できなかった、とのこと。大江健三郎は常に「新しい人」が現われると言い続けていた。おそらくはそのまだ見ぬ未来の牽引者に向けて、自らの「人生の習慣」だった敬する人々との出会い、関わり方を開陳し継承すべく、この小さな、しかし内実深淵な一冊を遺されのだと思う。少なくともぼくは、そう受け止めた。はにかむように、うつむきながら、深い思いをこめてひと言ひと言を紡ぎ出す黒い丸眼鏡の白髪豊かな姿が髣髴とするばかり。
 ここには、大江読者には親しい人物たちが次々、実に活き活きと立ち現れる。渡辺一夫はもちろん武満徹、小澤征爾、大岡昇平、吉田秀和、井上ひさし、伊丹十三、野上弥生子、加藤周一などなど書ききれない。長男光さんやゆかり夫人、大瀬村の達人たる御母堂、学部時代以来の友人、知人。大江氏が、いかに真摯に深い尊敬の念を醸しつつ、そうした周囲のさまざまな人々と関わりつづけたか、ぼく自身の来し方行く末にまで響きわたる重みで静かに、しかしいずれも強い言葉で手渡される。そして、なによりエドワード・サイード!
 日々イスラエルの暴挙に胸裂かれながら目にする、耳にする報のなかにあって、いま、なぜ君たちは、サイードの言葉に思いを致さないのか、そして何故立ち上がらないのか、と今更ながら大江健三郎に叱責されているように、自分自身の不作為を猛省せずにいられなかった。しかもサイードは、生前、東日本大震災後すぐの汚染水の海上放出を憂いていた。そのことをあらためて思い起こさされ、ぼくらはこの国をなんということにしてしまったのかと胸苦しくなった。
 音楽配信アプリのspotifyのグレン・グールドのカテゴリーにまとめられている楽曲を、愛用するAirPods Pro第2世代で聴きながら同書を、涙を堪えつつ読み進めていると、氏の所謂「偶然のリアリティー」よろしく、光さんが、グールドに出会った経緯のくだりに出会い、あぁバッハ、と胸を突き刺されたことだった。もっとも、その時耳内で響いていたのはグールドがストコフスキー指揮で弾いたベートーヴェンピアノ協奏曲第五番第二楽章の繊細典雅なアダージョだったけれども。
 大江健三郎の遺書として読まれるべき、遺されたぼくらへの「親密な手紙」。大江健三郎の訃報に打ち沈むばかりの日々のなかで、自らを立ち直すべくもう一度、教壇に帰ろうと決意し、今春から関わり続けている中学生、高校生たちに、まずはその存在を教え伝えなければとの実践を重ねる時間のなかで手渡されたこの新書を、切なく愛おしい思いを込めて薦めたいと思う。

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