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是枝裕和監督の憂慮と日本映画の明日

令和4年9月11日の東京新聞朝刊こちら特報部に、是枝裕和監督へのインタビュー記事が掲載されている。
つい先日ベネチア国際映画祭の会場で、イタリアの映画専門誌とローマ教皇庁などが贈る「ロベール・ブレッソン賞」を受賞した是枝裕和監督の喜び談ではなく、日本映画界の現況と明日への憂慮を語る内容で、読みながら深く共鳴した。
実際、ここ2年間のコロナ禍で配信鑑賞がより一般化し、韓流作品の質の高さを体感させられ、改めて大きく水を開けられた韓国映画と日本映画の差異に歎息するばかりだったので、日本映画の制作現場でのあり様に、ひとりのファンとして懸念を等しくするばかりであった。
是枝監督の憂慮は映画のみならず音楽、美術、舞踊,伝統芸能などなど文化芸術全般が等しく抱えている重い懸案課題である。行政の予算で、まずは槍玉にあがり削減対象となるのは,文化芸術に関わるものである印象は、おそらく周知の現況であるだろう。谷川俊太郎の詩の一節にある通り、「それがどんなに美しかろうとも」「一日は夕焼けでなりたっている」わけではないし、「その前にたちつくすだけでは生きていけない」(「夕焼け」『世間知ラズ』所収)。しかし、「夕焼け」をみることができなくなってしまう世界とは、すなわち滅亡を意味するしかないではないか。「文化」とは、まさに然るべきもの。それを見ることなくして人は生きてあるとは言えない。そもそも何かと比較して軽重を云々するものではないのだ。
状況が悪しきもなら改善せねばならない。文化芸術は、強い意志と努力とにより保持され継承されなければならない。是枝裕和監督の憂慮をよそ事として放置してはならないのである。

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