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志高い失速作:芥川賞・朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」レビュー

 『文藝春秋』9月号掲載の今期芥川賞二作の内の一本、朝比奈秋「サンショウウオの四十九日」は、久々に充実した読後感だった。
 「胎児内胎児」と「結合双生児」という稀有な設定を通して、語り手をどうするか、という作家にあっての創作最大案件に、ひとつの型を提示したことで、本作は、こののち暫く独自の位置を保持し続けることになるだろう。
 一人称でありながら、同時に三人称であるとの視座、さらに言えば、そのふたつが自由に行き来する融通無碍な結構はきわめて魅力的である。これまでなら、やや大雑把な括り方にはなるが、自己内部の二面もしくは多面をさまざまな理屈を駆使しながら内部葛藤を繰り広げ、自身の奥底へと踏み込み、人間としての真理に辿り着こうとするのが一般的だった。本作は、そうした立ち位置を「結合双生児」にかかる医学的見地からあっさり確立して、一個の肉体として存在する双子の姉妹、二人格の会話と内的対話によって物語を進めて行く。しかも時空自在。平塚、藤沢に暮らし葬儀と法事で京都往復する現在と幼児期や小学校時などとを自由に跳躍する。その思考主題は、自己探究に尽き、その内実自体は特殊でも新規でもなく、きわめてノーマルなものだが、ふたつの視座からの応酬に新味があって、結末まで停滞なく読み進めることができる。文章明晰、用語への違和感なく、受賞作であること納得の仕上がり。作家が目指して具現化した意匠を整えた志の高さは、近年の芥川賞作品にあって際立っている。
 惜しむらくは、最終盤、「胎児内胎児」の伯父の四十九日で親類縁者参集した父の実家での夜、主人公の内部で展開するアオミドロとザリガニに象徴される内的イメージの意味合い、新生に収斂される必然性が不鮮明で、失速感否めない。かつ無いものねだり承知の付言となるが抒情性希薄のまま結末となって、余情なく残念。着地への配慮を怠ったとしか思われない。
 ここ数年で発表のたびに、林芙美子賞、三島賞、野間文芸賞などを受賞し続けているとのこと。それら先行作品を読んで、作家が目指し切り拓こうとしている方向性について、より理解を深めることで、このたびの残念感は溶解できるかも知れない。期待の新星の登壇である。

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