見出し画像

『鎌倉物語 第五話:終わりと始まりのクロスロード』

父の教え

 父はもともと大学の教授をしていてユニークな人だった。僕が人生に迷い困ったときに相談しても「おまえの人生なんだから、おまえの好きにしろ」とだけ言われた。「じゃあ、好きにするよ」と伝えると「母さんには迷惑をかけるなよ」とだけ笑いながら言っていたのが印象深い。そんな風に人が重たいものを抱えて相談した割にライトに答えたと思ったら、あるときふと思い出したようにこんな話をされた。

「人間っていうのは生まれながらに、心の中に自分が快適に暮らせる村を持っている。そこにいれば食べるものには困らないし、十分な水もある。最低限のことをしていれば良いんだ。苦しい生活とも無縁。もちろん一生その村で暮らすのも悪くない。そういう生き方もある。たいていの人間は、自分が生まれ育った村で生き、死んでいく。ただ、人間にはもうひとつ生き方がある。それが旅人だ。生まれた村を出て、世界を見る人間だ。ただ、旅は苦しい。砂漠では喉が渇くし、飢えるときもある。病気にかかることもあるだろう。なぜ村を旅立ってしまったかと後悔する日もあるに違いない。それでも休むことなく歩みつづければ、いつか今までに見たことのない、思ってもいないような景色に出会うことができる。それは一瞬にして永遠の喜びを手にする瞬間だ。その一瞬に出会うために旅人はまたその地を捨てて旅に出る。どちらの生き方を選んでも良い。おまえが決めろ」

 たぶん相談されたことを思い出して急に答えが浮かんだのだろう。最後にポツリと言った「人生は一回しかない。旅に出ても良いじゃないか?」という言葉はいつだって僕の背中を押してくれる。

 自由気ままに生きたあげく、ついに父には嫁さんも子供も見せてあげることができなかった。子孫は残してほしいと願っていたみたいよ、と母から聞いたときは胸が苦しくなった。ずっと知らなかったが、僕が会社を辞めて生活が苦しいと聞いて、父は趣味だったオーディオに凝るのをやめたそうだ。表にはあまり見せなかったが、やさしい人だった。

 好きに生きろと言われた言葉をそのまま信じて、勝手気ままに生きてごめんなさい。
 大好きだったオーディオを思う存分楽しませることができない愚息でごめんなさい。
 あなたの優しさに気がつかず本当にごめんなさい。

 悔いても仕方のないことではあるが、それでもやっぱり悔いが残った。

旅の終わりとはじまりの場所に

「あれ? やってる?」
 店の入り口で声がしたので、視線をやると顔なじみのカメラマンである御厩さんが立っていた。銀座で電話をくれたあの人だ。
「やってますよ」
 僕は笑いながら読んでいた『乞食王子』を置き腰を上げる。
「わざわざ、どうしたんですか?」と聞くと、
「バイク持ってきたよ」と御厩さんが答える。
「お、マジっすか。早い!」
 ウキウキした気持ちになって、店の外に出ると、赤の「ZEPHYR400」がとめてあった。夕方の海を背景にキラキラと輝いて見える。
「よく見つけましたね」
「後輩のバイク屋に状態の良い中古があるって聞いて、すぐに行ってきた。予算内におさめたから心配しないで」と白い歯を見せた。
「ありがとうございます」と僕は深々と頭を下げた。
「大事に使ってよ」と御厩さんは笑顔で返しつつ「もう編集の仕事、やんないの?」と聞いてきた。
「やり切った感もありますしね。今はちょっとやる予定ないんですよ」
「そっか」と少し寂しそうに笑って御厩さんは「また、撮影しようね」と言って帰って行った。
 父の死後、僕は大量に遺された本を生かして古本屋をはじめることにした。いつまでつづけるかはわからない。ただ、また旅に出たくなるその日まで、今しばらくここでゆったりとした時間を過ごすつもりだ。大学卒業後、忙しすぎて会えなかった友人たちにも会いたいと思っていた。
 社会に出て20年。青年の時に描いた未来予想図は、思ったよりも早く終わりをむかえてしまった感が自分にはある。他の人がどうなのかはわからないけど、あのとき夢を語り合った人たちはどこで何をしているのだろう?  
 僕はひとつの旅を終えてこの場所にたどり着いた。若い頃に思い描いていたことよりも上手くいったこともあれば、上手くいかなかったこともある。43歳になって、精神的にも体力的にも、若い頃みたいに好き勝手に生きるのは難しいと感じるようにもなった。それでも社会の中で見れば「まだまだこれから」という年齢でもある。これから先の20年をどう生きて、どう死んでいくのか? 友人たちのこれまでの生き方に触れることで、新しい未来予想図を描くことができるのではないかと思っている。