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【後編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第13歩目「寄り添い型MC」×Mc.さのりえ

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。         
今回は、2020年11月30日に実施された第13歩目「寄り添い型MC」に取り組むMc.さのりえさんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。

戸塚)後半は、さのりえさんご自身のお話をお聞きしたいと思います。今回も人生の転機になった場所に★をつけて頂いているのでそこを中心にお話をお聞きしたい思います。

わたしのLIFEQUEST

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幼少期

実は、小さい頃今この仕事をしておきながら、マスメディアというものがとても怖いイメージがあったんです。自分が大切に思っている人がメディアからバッシングされ、それにとても傷ついたという経験がありました。その時に情報って良くも悪くも人の認識を作ってしまうんだなって感じました。そこから段々と、自分がいいな、すごいなと感じたものなどを他人に、社会にうけいれてもらえるような人になりたいなと強く思うようになりました。有名になって、ファンや名誉をもらうようになったらもしかすると自分の言っていることを受け入れられるようになるんじゃないかと幼少期は思っていました。なので、幼少期の私は、発信力を持つというのが一つ目のLIFEQUESTになっていました。

そこからめちゃめちゃ勉強して、勝ち組になろう、社会の上に行こうと当時の私は思っていました。しかし、大学受験に失敗したことから私の暗黒期が始まりました。「何者」かになろうとしていたのに、もうなれないと、人生初のノイローゼを味わったんです。人生詰んだと思っていました。ほんと人生が暗くて、真夜中にアニメとかをみて過ごしていました。自分の中に何も期待できるものがないと思った時に、その中で世界はこれからどうなっていくんだろうと二十歳ぐらいの私は意識が向きました。大学3年生のゼミで貧困問題と環境問題の関係性からどうやって持続可能な世界を作っていくのかということを研究していて、そこから、大学を卒業した後に、自分の目で世界を見てみようということで、いくつかの海外をまわりました。これは、JICAのフィリピンオフィスでインターンをしていた時の写真です。

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幾つかの国を回っている最中に東日本大震災が起こりました。当時、大学三年生で卒業して、活動していた時でした。とにかくやってみようという思いが強く、釜石の復興推進本部でインターンをさせてもらいました。

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NYC

海外に行き、被災地に行った後に、アメリカに行きました。ここが人生の2つ目の分岐点になります。アメリカでは、ニューヨークから1時間ぐらいかかる大学院に行っていました。そこの大学は、ほぼ8.9割が黒人でした。差別ということではないのですが、大学から出たら一人では歩けないような場所に2年間住んでいました。そこでの生活も中々つらかったのですが、その中でたまたま私は国連の日本代表部のインターンを運良くつかむことができました。そこから数か月間のNYCで過ごしました。この時の経験というのは私のYouTubeチャンネルで詳しく語っているものがあるので、こちらをご覧ください。

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端的にまとめると、生意気なことは重々承知をしているのですが、世界がどうやって理想にたどり着けるんだろうと探し求めている最高峰が国連だと思っていたので、その国連で見たのは終わりのない利権争いだったんです。この社会構造は仕方がないんだなと思いました。そんな中で振り返ってみたのが被災地のことでした。そして日本人(被災地)の「助け合い精神」「公のため生きる姿勢」って世界が理想に向かう希望なのではないかと思いました。教授の助言もあり、私は、日本の「希望」を世界に売り込みたいと思ったのが2つ目のLIFEQUESTになります。なので、この時点では、日本に戻った後にまたアメリカに戻り博士号をとろうとしていました。

日本に帰ってきてから、私の支援員生活が始まります。ここで、釜援隊の取材を受けてコーディネートしたり、自分で支援者の方にインタビューして記事を書くということをしていました。釜援隊のマネジメント部隊として、支援員をバックアップする立場でした。ここで、未来の生き方というのは、公の為に、利他的に生きるということ、もっとかみ砕くと他者に寄り添うということを教わりました。

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独立

支援員時代を過ごした後に、人生2度目のノイローゼを味わいます。頑張りすぎで、体を壊してしまいました。そこで、学んだのは、周りを幸せにするためには、自分も幸せにならないといけないという教訓でした。その時に、キーポイントになったのは、MCの経験です。自分の声が偶然武器になること、表現方法になるということをここから気づきました。そして、2019年の夏に寄り添い型MCとして独立しました。今は、様々な方々とのお仕事を通じて、他人と自分が「幸せ」になれる働き方を目指そうと思っています。なので、3番目のLIFEQUESTとして、自分の土台=幸せをつくるというのが今のステージになっているのかなと思います。

あなたにとって釜石とは?

母校

さのりえ)凄い色々なことを学ばせて頂いたし、釜石にいる人って特別な存在なんです。戦友であり、絆があって、学びがあって、フィールドがあってなど様々な意味での理由があります。

あなたにとって人生の道しるべとは?

正義

正義という言葉の定義ではないかもしれませんが、これだけは守りたいっていうことを間違いにならない程度にしんどい場所であっても、握り続けてやっているからです。あとは、わからなくなったら、表・裏のコイントスで決めることも多いです笑

戸塚)色んな所に飛び込んでいって、そこから次の行動に結びつける純粋さというものを感じました。さのりえさんありがとうございました!

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