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【後編】Life Quest~釜石で〇〇する人たちの多様な生き方〜第18歩目「ローカルディベロッパー」×神脇隼人さん

本記事は、岩手県釜石市で人生を探求し生き方を自分でつくることに挑戦し、様々な活動に取り組むゲストの生き方に迫っていくイベント型オンライン番組『Life Quest』の内容をnoteに転載しています。         
今回は、2021年3月1日に実施された第18歩目「ローカルディベロッパー」に取り組む神脇隼人さんをご紹介します。実際の放送については、こちらよりご覧ください。

戸塚)後半は、神脇さんご自身のお話をお聞きしたいと思います。今回も人生の転機になった場所に★をつけて頂いているのでそこを中心にお話をお聞きしたい思います。

わたしのLIFEQUEST

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家庭環境

戸塚)一つ目の中学生時代の家庭環境のあたりについて、恐らく価値観を形成したあたりだと思うんですが、ここら辺のお話を教えてください。

神脇)そうですね、中々しゃべる機会がなかったのですが、この幼少期の頃がなければ今の私はないなと思ったので、書かせて頂きました。端的に言うと、親が仲良くなかったというのがあります。いわゆる幸せな家庭ではなかった気がしています。世の中、お金が必要ということを中学生の時に思っていました。人を信頼しないというか、学校の催しも高い学歴に入って、お金に困らないようになりたいなとこの時は思っていました。

戸塚)それがある種の頑張る原動力になったんですかね?

神脇)そうですね、、、大学まではなんだかんだ親に世話になっていて、もちろん部活とかやってみんなで楽しい瞬間だったと思うんですけど、どこか冷めている自分もいて、いわゆる成功体験ができたのが大学合格受験でした。勉強の時とか一日14時間ぐらいは勉強していて、移動の時間もテキスト開いていましたね、、

平元)起きている時間ほぼ勉強ですね、、!

戸塚)その後、大学に合格して、その後についてお聞きしたいです。

神脇)はい、大学入って一番衝撃だったのは、周りがめちゃめちゃ優秀だったことなんです。すごい要領が良いというのを感じていました。また、周りのお金持っている家庭が多いなと思っていましたし、バイトとかしなくても色んな事ができるという中で自分はこのままじゃやばいなと思って、お金稼ぎながら何か自分自身が成長できるようなことをやりたいなと思ってアルバイトを頑張っていました。周りに劣等感を感じながら、頑張っていました。

生き方、暮らし方

戸塚)なるほど、、その後大学卒業してから、サラリーマン時代について教えてください!

神脇)実際に幼少期に描いていた感じていた大手の会社に入ってお金に困らない生活をするという中で、実際にそうなりました。大手に入って、給料もそれなりにもらっていました。大手のディベロッパーって仕事を発注することが多いので、若手の頃でも広告代理店の方が頭をへこへこしていていて、非常に良くない環境なんじゃないかと思いました。自分自身が肩書がない状態になるとどうなるのかということを考えて、この当時首都圏で仕事をしていたので、肩書なしで地方での仕事をしてみたなと思いました。

戸塚)経験したからこそ見えてきた、次に段階なのかなと聞いて思ったのですが、それを会社の中の環境ではなく、外に出てやろうと決めた時の葛藤などはあったんですか?

神脇)そうですね。元々、希望している部署ではない配属になったということもあって、1つの部署に3~5年配属になって、次の5.6年で移動したときに希望した部署ではなかったんですね。また、3~5年待つのかと考えた時に、30~35の間で何かやるならやろうと決めていたこともあって、このタイミングで違う道を進んでいこうと決めました。

戸塚)チャレンジ精神がすごいあると感じました。やるぞってなった時の力が強いのかなと思います。

神脇)確かによく考えてみると、もしかしたら、親父の性格もあるのかなと思うことがあります。兄二人もめちゃめちゃ転職しているんです。1つの場所に捕らわれずに色々しているのは、そのDNAがあるかもしれないですね!

平元)チャレンジ精神がある中で、どうしてローカルベンチャーを選んだんですか?

神脇)他の会社にいこうと一瞬は考えましたが、その当時、転職すると大体の会社が給料下がるんですよ。それはその当時違う気がすると思って、わざわざ会社を変えることが給料下がるならもう少し全然違うことをやりたいなと思ったからですね。

平元)違った視点でガラッとキャリアを変えようということだったんですね、、!

神脇)不動産などの貢献しやすいことなのかなと思っていたので、大雑把な方向性はありましたが、実際に職ということになると絶対こうじゃないといけないとか考えていましたね。釜石に関して言うと、なんだかんだまちづくりの中の開発をやりたいという思いがあったので、きれいなところじゃなくやばそうなところに行きたいなと思って決めました。

平元)開拓し甲斐がある場所だったということですね!

神脇)そうですね、、!

応援・仲間・覚悟

戸塚)なるほど、、、釜石になぜというところもお話して頂きましたが、今回は、釜石に来てからのローカルベンチャーというところにも踏み込んでいけたらと思います。応援・仲間・覚悟といったところをお聞かせください!

神脇)これは2年目ぐらいなんですが、カフェオープンから下がっている所になりますが、運営をしていったり、プロジェクトを続けていくということが慣れない中で、すごくしんどかったです。本当に色んな事をやっていって、いろんな実行や決断を結構自分でやっていたんです。よく経営者は孤独だと言われると思うんですが、まさにその孤独を感じていました。いいたとえは、自分が野球のピッチャーで投げようとするけど、後ろの守備には誰もいない。ただベンチには人がいて、応援をしてくれているって感じなんです。一緒に汗水たらしながら、覚悟を持った仲間や一緒に思考するといったところは応援することと全然違うなと思ったんです。

これは、応援がダメとかいらないとか言っているんではなく、覚悟を持って、一緒にやっていくことがここまで大切なんだなと思って、自分は巻き込んでいくということができていなかったなと感じていました。自分自身は何もできないんだなと思いました。幼少期から、あんまり他人に期待しないんです。ただこの時はみんなにめっちゃ期待をしていたこともあり、ギャップもありました。ここは自分自身が変わったところだと思います。

平元)それだけ期待できる仲間ができたからこそ、神脇さん自身が変わっていった感じがしますね!

神脇)個人というか一人じゃ何にもでできなくて、色々活動していくと限界が見えてきてしまって、地域を主語にした途端、限界が早くなるんですよね。色んな関わりの中で、自分の好きな地域もあるから、地域を主語にすると関係ない人には全く関係なくなってしまう。とはいえ、個人を主語にして一人でやっていくのも違うと思うので、いかに個人の想いを大切にしながら、チームで仲間とつくっていくのが大切だなと思っています。

戸塚)すべて含めての経験、チャレンジをし続けた、しつくした3年なのかなと改めて今の話を聞いて感じました。

わたしにとって釜石とは?

涙を知る町

神脇)もちろん震災で多くの方が亡くなって、その悲しさ、涙を知っている町ですし、私自身もこれまでの社会人の中で涙をすることがなかったんです。釜石に来て何回泣いたか分からないです。それほど、この事業やこの地にかける思いがあります。

わたしにとって人生の道しるべとは?

0→1

神脇)今ないものをどんどん生み出していきたいと思っております。そして、それがワクワクすることであったり、それこそ空想を作り出していくことなのかなと思っています。

戸塚)神脇さん、ありがとうございました!

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