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台湾で知り合った不思議な哥哥(お兄さん)


台湾で生活していた時、不思議なお兄さんと出会った話。

まだ未熟ですが、よろしくお願いします。

(注意書き)
本文には成長背景にあまり詳しく説明していないので。
初めての方には「自己紹介」に目を通してから、話がわかりやすくなると思います。

。。。

では、

軽く台湾の家を紹介します

記憶があってから、台湾で何回か引っ越して、でも家がどんなに小さくてもも必ず仏壇を設置していた。

本当にすごくシンプルだった、

正確に言うと「壇」じゃなかった、
折り畳みテーブルだった。

テーブルの後ろに、赤い紙を貼って。
仏像、お香立て、蝋燭の形の電球二つ、茶碗三つ。
以上をテーブルの上に並べた。

よく考えると、
今台湾の実家にある仏壇も立派になった。


(今年の旧正月で母がご馳走を用意した時の写真)

画像1


小さい時、夜になると、その赤い光が不気味と感じた。
大きくなってから、幽霊より、ホラー映画の方がよっぽど怖いと思った。

。。。

では本題に入ります。

。。。

台湾に行ったばかりな時、母以外の人に言葉が通じなかった。

妹も当時異常に無口だった、あまりにも無口だったので、学習障害があるじゃないかと何回も疑わられた。

小学校で何回か知能テストされた。


結果、

毎回正常でした。

ただの無口だけだった。


幽霊ちゃんとの関係もなかった。


話を戻します。

その時、いつも遊んでくれるお兄さんが居た。

中国語を教えてくれたり、
家の近くを案内してくれたり、
公園で一緒に遊んだり、
本を一緒に読んだりしていた。

歳と共に、お兄さんが家に遊びに来る日が少なくなった。

ある日、母に聞いた。

「哥哥(お兄さん)今度いつ来るの??」

『兄さん?誰??』

「いつも家に来て一緒に遊んでくれるあの顔が丸いお兄さん」

『変なことを言わないで!!』

と、凄い怒られた。


本当にショックだった...


彼はまさか、自分の想像で作った友達だった。

でも中学校に上がてからも、お兄さんは夢に出てくる、夢の中で受験勉強も一緒にした。理系はいつも真っ白な教室で勉強させられ、文系は海や山に行ってストーリ形式で説明してくた。

。。。

小学校多分4年生の時、母は奇跡的に台湾で初恋の人と再会した。

そのおじさんは、私がプロフィールで言ったその霊媒師のおじさんです。

中学生になったある日、急におじさんにお兄さんのことについで聞きたくなった。

おじさんは話を聞いてから、しばらく沈黙に入った、


何分後に。


「太子だったよ!」



やっと!

お兄さんを見える人がいた!

やはり想像じゃなかった

とちょっと嬉しく思った。

。。。

お兄さんのことは「霊」だと認識してから、体で感じたことは一回あった。

センター試験で、前日が徹夜したせいで、試験中でうとうとした。


寝落ちそうな時に、頭が誰かに強く叩かれた。あまりにも痛かったので、すぐ目を覚めた。時計を見て、やばいと思って、急いで問題を解き続けた。


試験が終わってから初めて気づいた。


先生は一番前に居た、
他の生徒に殴られるようなシチュエーションでも無かったし…


あれ?


家に帰ってから、このことについておじさんに話したら、


「太子だったよ!」

と、即答された。

。。。

高校に入ってから、お兄さんも忙しくなったせいか、あまり来てくれなくなった。

去年、久々に彼がまだ夢に現れた。

彼は相変わらず子供の様子だったが、

何と英語で喋ってきた〜!


『Hey~~~~do you remember me?』

「SURE~~~~! But, why can you speak English ?!」

『Don’t you remember that I am the one who always studied with you? 』

「Sure...」


と、意外とすんなり受け止めた。

彼は私の状況を把握していたから、夢の中でずっと彼の近況報告を聞いた。

おおまかにいうと、彼は昇進をして、今は勉強の守神になった

。。。

幽霊何か、全然怖くない❤︎


哥哥はずっと私を見守ってきた家族だった。



因み、


お兄さんは一番上の写真にも写っていた、



左側の肌色の顔が丸い仏像
台湾でみんなに「太子」と呼ばれている。



最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。


初めてのお題企画に参加した

みなさんがスキなら、

「お兄さんの近況報告の詳しい話」
「おじさんとは」

について、
いつかアップします、
またよろしくお願いします。

見出し画像 出所
撮影者 Bo wen HUANG

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