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隔離13日目:台湾のテレビ事情(地上波)

台湾のテレビで『くりぃむしちゅー ハナタカ』をやっていたから、テレビ関連の話をちょっとしようかなと思った。

台湾の地上波

幼稚園の時、家にまだケーブルテレビをつけていなかった時、チャンネルは5つしかなかった。小学校に上がってから、母がやっとケーブルテレビをつけた、年末年始の時に、いつも家族三人揃って、NHKの紅白を見ていた。

台湾も日本と同じ、地上波をアナログからデジタル放送にした。2004年1月 で台湾で地上デジタル放送への移行開始、2012年6月30日完了。

現在の台湾の地上波を大きく分けると、以下六つのグループがある。

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全部で22チャンネルがある

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老三台と第四台とは

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時系列のように、台湾はまだ戒厳令を実施していた時、三つのチャンネルしかなかった。

戒厳令解除したあと、できたケーブルテレビのチャンネルのことを全部『第四台(4チャンネル)』と呼ぶ、戒厳令解除前の地上波のことを『老三台(三大老舗テレビ局)』と呼ぶ、。

地上波のチャンネル数があまりにも少なかったので、『第四台』の普及率は高かった、テレビに台持ちの家庭も多かった。

でもスマホの普及によって、テレビ離れした人が多くなった。地上波のチャンネル数も増えたので、『第四台』を解約する人がどんどん増えている。

大手会社からすると、テレビコマーシャルが高価なのに、リーチ率が恐ろしくほど低い、ネットのインフルエンサーにかけた方がまだコスパがいい。昔に比べると、テレビCMの重複率が高くなって単調になった気がした。

地上波から見た台湾歴史

戒厳令の時、メディアは基本政府が主導している。

当時台湾の政権が大きく三つ分けていたので、テレビ局も三つに分けた。

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台湾の歴史をわかると、テレビ局のできる順番を見ると面白く感じる。

台視
1961年、台湾省政府は「台湾電視事業籌備委員会(台湾テレビ事業準備委員会)」を設置、民間資本と日本からの資金によりテレビ放送局の開設を目指し、1962年4月28日に台湾電視公司(台視)が成立、同年10月10日に正式に放送を開始し、台湾初のテレビ事業者としての活動を開始した。

中視
台視開局後、蔣介石は中広が中心となり中国電視公司(中視)の設立を指示、1968年9月3日に台北中山堂にて正式に成立し、翌年10月31日より正式に放送を開始した。

華視
1970年代になると当時国防部部長であった蔣経国と教育部部長の閻振興が1億台湾ドルの資金を投入し教育テレビの拡大を計画、1971年に改名して中華電視台(華視)として正式に発足、同年10月31日に正式に放送を開始すると同時に、中部、南部地区への放送設備も整備された。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

戒厳令解除後、民間でもテレビ局を設立できるようになった、政府がメディアを操作できないように、報道に関する法律も2003年で相次いでに作った、老三台の経営権も政府から民間に移行した。

現在「黨政軍」はメディアから撤退したが、ニュースを放送するときに、やはり政治的色彩がはっきりな局がたくさんある、話が長くなりそうなので、またいつか紹介する。

。。。

最初の戒厳令の時は台湾語を禁止されたので、布袋劇(ほていげき)と台湾オペラなど台湾語を使ったものは全部テレビで禁止された。

以下は母の記憶の中の戒厳令が解除してからの、テレビのタイムテーブル。

昼から 布袋劇(ほていげき)、台湾オペラなど
18時 アニメ
19時 ニュース
20時 (平日)ドラマ(週末)バラエティ

私もいつも妹と午後は外で遊んで、18時には必ず家に戻ってテレビを見ようとしていた。私たちがアニメを見ている間、母が仕事していない日では晩ご飯を作ってくれた。

19時になると晩ご飯を食べながら一緒にニュースを見るか、またはテレビを消して食事に集中するようにした。

20時になると、フルーツを食べながら一緒にドラマを見て、22時になるとテレビを消して、寝かされる。

。。。

昔、保母さんの家いた時、母の仕事のせいで週一しか母に会えなかった。母が週末の歌番組に出ると聞いて、保母さん家族と私と妹が一緒にテレビの前で待っていたことをすごく覚えていた。

ケーブルテレビが普及する前に、チャンネルが少なかったので、テレビに出れるのが極めて難しいことだった、でも母は出演を何回も断った。

「もし有名になったら、もっと稼げるじゃん。」と聞いたら
「あなたたちを守るために、有名になっじゃいけないよ。」母が答えた

これまた面白い話なので、いつか紹介する〜

。。。

小学校の時、ドラコンボールにハマった。
中学校の時、犬夜叉にハマった。

悟空犬夜叉とも中国語で喋っていた。

もちろん、野比のび太も中国語ぺらぺらだった。

。。。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。

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