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「これはアメリカ文化ではない」

と私の恩師、ブリィータ・オストロムはいう。エサレンボディワークは、カリフォルニア、ビッグ・サーに1962年に設立されたエサレン研究所で、週末を何か新しい知的な興奮で満たそうとサンフランシスコから車を飛ばしてやってくるアメリカ人に、多くは白人層だが、温泉に浸かった後のさらなるリラックスをもたらすためのマッサージとして始まった。彼らにとっては当時は単に、”マッサージ”だった。欧米でマッサージといえば、オイルマッサージを指す。エサレンボディワークは、このエサレン研究所で始まった。というか、エサレンボディワークという言い方は、正確には、この全身マッサージを日本で広めていこうとなぜか志した私が、使い始めた造語だ。いずれ、おそらく、かなりの間、かの地では、単に”マッサージ”、と呼ばれていたと思われる。

エサレン研究所の温泉施設で提供されるマッサージが、エサレンスタイルと呼ばれるようになったのは、おそらく60年代の終わりころからだろう。その頃には、露天風呂の隣の、時折波しぶきがかかるかと思われるほど海に突き出した木製デッキに並べられたマッサージテーブルで提供される、そのストロークは、極めて長く繋がったものになっていた。マッサージプラクティショナーと呼ばれる施術者たちは、初めは、太極拳の動きから、そのインスピレーションを得たという。いや、その前に、ビッグ・サーの、乾いた気候、時折霧に覆われる、そして太平洋の荒波が刻んだ複雑な地形が、そしてまた、その土地に5000年前から住んでいたとされる、今は消えかけている、ネィティブアメリカンの部族のスピリットが、すでにそれを用意していたのかもしれない。

さらにブリータ・オストロムは、続ける。
「これは人類へのギフトなの。」

エサレンボディワークの特徴とされるロングストロークと呼ばれる、オイルの滑りを使って、寄りかかりながら重力に従順に、統合的に触れていく触れ方は、受け手と触れ手、双方の内受容感覚を刺激した。意識が際限なく内側へと向かっていき、カラダの内部の感覚が開かれていく。確かに、我々は、体毛を半ば失って皮膚感覚を得、そしてその感覚を研ぎ澄ませてきた。その恩恵は様々にあるだろうが、内側に開かれる自己認識、または自己感覚は、その一つなのかもしれない。ロングストロークは、それらを十全に引き出した。

エサレン研究所で一ヶ月にわたる集中のマッサージトレーニングを受けていた私は、ある日、練習セッションの最中、自分を動かしている”エネルギーのようなもの”の感覚に気づいた。それは、私の頭頂から流れ込んできて両手から溢れ出し、私の触れ方をガイドした。それは、白い光のようにも感じられた。次に何をしようか考えることは必要なかった。ただ、その白い光のガイドに従って、また、同時に私は自分のカラダを重力に従順にさせるだけでよかった。するとそれは結果的に長く繋がったストロークとなり、セッションの間中、途切れることはなく、寄せては返す波のようなリズムで触れることができた。私は受け手と2人で踊るかのようなこのダンス、ボディワークに夢中になった。相手に一方的に私が施すのではなく、寄りかかりの重力の作用に相手のカラダの返しの動きが、波のように双方向で反応し合う、夢と現(うつつ)のあわいを浮遊するような感覚。私は、施術するときも施術を受けるときも、ある種の自己開放感を感じていた。それは、それまで感じたことのない質のものだった。日本という枠の中では感じることのできない、何かのようにも思えた。あるいは、古(いにしえ)から伝えられてきたが、今はすでに忘れ去られている、そうしたものなのかもしれなかった。

エサレン研究所の夕暮れは、太平洋に沈む太陽で紅く染まる。カフェのデッキで夕食をとりながら、金色に輝く海を眺め、友と語らう。その太陽は西へ西へと降りていき東の国の朝日となる。

夕暮れは雲のはたてに物ぞ思ふあまつ空なる人を恋ふとて
古今集 よみ人しらず





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