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はじめての仕事は社宅担当、そして手取りは3万円でした

早いもので3話目になりました。
過去作(作品なのか?)についてもいろんな方に見てもらってるようで個別にコメントを頂いてたりやっぱり懐かしいって声をもらったりしてます。


①人生ではじめて就職しようって思ったのが光通信という会社でした

②入社して1ヶ月で出勤しなくなり飛んだあとに異動になった19歳


合宿からの初出勤、そして早速飛んだ(バックレた)からの総務部へのコンバートということで終わってますので今日は、総務部総務課として勤務したところからです。そもそも光通信入社が2003年10月であり、総務に異動したのも同年11月ですからまだ19歳です。

そしてまだ2話書いて2ヶ月分ですから10年分ってどれくらいかかるんだろうって感じですが、ここからはスピードアップしていく気がします。

それでは。



はじめての仕事は社宅担当

営業から飛んだぼくは総務に異動し、池袋のビックリガードの側道にある「光センタービル」に出勤することとなりました。当時の総務は6階にありました。いまでも覚えています、当時座った席はこんな配置でした。

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非常に懐かしい。
ぼくの右にはサブマネージャー(一般的な企業でいうところの係長クラス)の先輩と左には女性の先輩が位置してました。


少し総務という部署についての説明を書きますが、当時の光通信の規模でも社員は10000人近くいたと思います。その中で社員の社宅管理だったり、稼働してるオフィス(ビル)管理だったり、営業マンが使う車輌の管理、日々使う消耗品発注、コールセンターの通信費管理などを取り扱い、まとめているのが総務課でした。
(管理という言葉が多いですが、それに関する全部やってますよって意味です)



これっていまでも凄いなって思うのが本当に少数精鋭だったんですよね。もちろん会社としてバックオフィスというのはコストセンターという扱いではあるので絞りに絞ってという感じでしたが、それにしても5〜6人でこれだけの規模をまわしてたっていうのも本当に凄いなってあとになって思いましたね。


こんな総務課の中でぼくが一番最初に担当になったのは社宅担当でした。当時のこともよく覚えてますが、ひとり暮らし用の社宅「単身者用」と家族で住める社宅「妻帯者用」の社宅が全部で1500戸はありました。(ありました=光通信で契約をして管理をしてるという意味)


その当時の光通信の社宅規定は各地域にとって家賃の上限が決められていましたが、その範囲であれば家賃の最大25%を会社が負担してくれるってものでした。

例えば、東京都の単身者用物件であれば上限9万円だとして、8万の物件であれば25%分(2万円)を会社が負担、個人負担は6万円ということになります。

あとあとにも書くと思いますが、光通信は各地方にも拠点を持っていたのでそういう意味では社宅は必要不可欠でした。


ぼくはこの社宅を先輩女性が1人でまわしていたところに、追加人員として入ったわけです。



契約書入力ができない

上記の流れからぼくは社宅担当になったわけですが、一番最初にやった仕事は、溜まりに溜まってた物件の契約書を「物件台帳」というものに手入力するところからでした。

物件台帳っていうのは、全国1500戸の情報を管理するシステムで当時はファイルメーカーでした。(いやぁ、ファイルメーカー、、、懐かしい)

ここに物件名からはじまり、住所、水道光熱費の連絡先、管理会社の連絡先、そしていつからどの社員が入居してるかなどを、すべて入力するのです。当時は契約だけしてそのあと物件台帳に入力する時間がなかったんだと思いますが、とにかく溜まっていた契約書をぼくは入力し続けました。


ここで少しぼくのパソコンスキルについて触れますが、大学へほぼ行ってないぼくは人生でパソコンを使ったことがありません。いまではMacBook Proでブラインドタッチとか当たり前ですが、当時は全くです。

いまでも2つのエピソードを覚えています。
先程も出しましたが、当時の席順はこんなかんじでしたが、ぼくの横にいた先輩女性の方は非常に仕事に対して厳しく怖かったです。笑。(すみません。。)


そしていつも先輩女性の左に座ってる人を怒ってました。。
あとから聞くとぼくより数ヶ月前に総務に同じく移ってきた方でした。

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この光景を日々見てるぼくは戦々恐々とするのですが、どうしても聞かないと仕事が進まないことがありました。。


①パソコンの電源のつけかたがわからない
はい、、ここからです。当時はデスクトップ型のパソコンでそしてモニターと本体が別のタイプもやつでしたが、本体のパワーボタンが見当たらず...そもそもそのボタンを押したら電源が入ることすら知らなかったぼくは恐る恐る先輩女性に聞いたわけですが、そこは非常に優しく教えてくださいました!(クリア)、そして同時にこのレベルかって一瞬先輩女性が悟ったときの目をぼくは一生わすれません!(悲しかったが事実そのとおり)


当時のぼくは本当に無知でしたし、繰り返しますがパソコンも使ったこともない、そしてはじめての社会人経験ということで、本当に役たたずでした。そしてまた日々となりで先輩女性が怒ってます。


「前にも言ったよね??なんでメモとか取ってないの??」と。


まじで怖い。
そして一度聞いたことは2度と聞いちゃ駄目なんだ、、とぼくは理解しました。社会人はそういうものなんだと。


そしてその日は来たわけです。



②小さい文字「ぃ」とか「ゔぃ」とかが打てない
ぼくが契約書を入力してる中での最大の関門は物件名とかが難しいカタカナだったりする時でした。このnoteをご覧の方もご自身でお住まいの物件の名前に小さい「ぃ」とか「ぇ」とかが入るケース、あると思います。何件も入力してる中で当然そういう物件に遭遇するわけですが、一度目は入力方法がわからず(パソコンの電源の入れ方がわからないくらいですから)、先輩女性に聞きましたが、その日はまたわからなくなっちゃったんです。(非常にピンチ)


しかし結果的にぼくはこのピンチを乗り越えました。この言葉で。


「○○さん、お忙しいところすみません、以前も聞いたのですが、もう一度教えてください。小さい「ぃ」ってどうやって入力したらよかったでしたっけ?」と。


なんてコスいんでしょうか。でもこれって大切なんだなって。だってあの先輩が怒らずにもう一度教えてくれたんですもん。笑


にんげんというのは全部を1回で覚えられるかっていうのは無理で、でも先輩の怒りポイントは以前も説明したことがゼロクリアになっちゃうのが嫌であって、「以前も聞いたのですが、、」と添えるだけで、前回がゼロにはなってないってところだったんだと思います。まぁ結果忘れてるのは間違いないですが、、


なんかここにぼくは社会での生き方の基礎を学んだ気がしてます。もちろんそれ以外にも色々と怒られることもありましたが、、



ついにやってきた大物案件

そんな中で社宅の契約書を日々入力してるぼくにビッグな仕事が舞い込んできました。なんと、週末に大規模な引っ越しがあるのでそれを担当してほしいとのことでした。

異動してきてまだ1ヶ月も経ってないですが、それでも担当をさせてもらえるということで早速内容を聞いたわけですが、当時の光通信はOA機器(いわばコピー機とかビジネスフォン)を営業マンが販売してるというのが全盛期でした。

全国に営業拠点がありますが、今回の話は小山市(栃木県)と郡山市(群馬県)と仙台市(宮城県)の3つの拠点での責任者とそのチーム10名ずつが全部異動になるということでした。

言うなれば、小山の責任者とそのチーム10名が郡山へ、郡山の責任者とそのチームが仙台へ、そして仙台の責任者とそのチームが小山へということで、それを聞いたのが月曜日だったんですが、週末には実行される、週明けには新しい体制で営業する、それをしっかりとやってということでした。


いやー、突き抜けてますね。
こんな仕事を新人にやらせてくれる会社は正直ないですよ。笑。だって何にもわからないんですもん。総務に異動してから契約書入力しかしてないし。


でも結果的には一応やりきったですよね。もちろん先輩女性に色々と教えてもらいながらでしたが、土曜日と日曜日で引っ越しの時間帯をそれぞれずらして、そして、前入居者が退去したあとにはハウスクリーニングを入れて(その業者もおかかえの業者ではなくて1から連絡して調整して)、そして玉突きで入居する人たちを受け入れる、そして物件が足りないときには金曜日までに新規の物件を契約して、鍵の受け渡しを入居する営業マンの人に取りに行ってもらったりして、、、


全部やりきりました。
本当にすごい経験過ぎて一生忘れることはないと思いますが、こうやってやりましたっていうのはあまり細かくてもなって思ったので割愛してますが。



社宅担当で良かったこと

ぼく、人生において一番最初にやった業務が社宅で本当に良かったなって思うことが何個かあるんですが、1つは物件の契約書、いわば賃貸借契約書が読めるようになってたっていうのは非常に良かったなと。そして次に物事の順序がわかりました、物件を見る、契約書をチェック、事前に入金する、鍵を受け取るという流れがわかったんですよね、これも大きいなと。


そして最後に思ったことは、社宅、いわば自分たちが住む物件について営業マンとか関係なくその前に1人のにんげんとして良い物件に住みたいってことで、どんな会社で偉い人も普通に社宅担当のぼくに電話してきてくれて、こっそりと自分が住みたい物件のリクエストを伝えてくるんですよね。

これって凄いことで。
一般的な組織では一般社員がめちゃくちゃ偉い人(部長だったり本部長、拠点長)と会話することはないですが、それが普通できるってことって、会社という組織の中では非常に強いコネクションを持てたということにつながるわけで。


本当に感謝してます。




手取りは3万円での同棲生活

そんな社宅担当のぼくですが、みなさん思い出してほしいのですが、そもそもぼくが社会人になろうとしたきっかけは、彼女と同棲をしたいっていう気持ちからでした。一応社会人になった時点、光通信に入社した時点では関係は続いてます。(結果別れますが)

こっそりと上司に相談の上、ぼく自身も社宅に入居するわけですが、このnoteで書いた通りの社宅規定としての会社負担と個人負担、そしてぼくの給与(18万円)から控除されたあとの手取りはなんと3万円でした!


どうやって生きていったんでしょう。


結局のところぼくは親に頼ったりしながらなんとか携帯代を払ったりで生活をしてたと思います。本当に色んな人に支えてもらったと思ってます。



そんなぼくも20歳になり、総務の皆さんからハタチになったということでお酒(一升瓶)とタバコ(ワンカートン)を頂きました。まさに大人の階段を登ったという感じですね。



こんなかんじでぼくの2003年、19歳としての社会人経験入門っていうのは終わっていきました。ここからはバリバリの総務としての活動を次回から書いていこうと思ってます。


今回は突飛なエピソードっていうよりはぼく的には非常に懐かしい総務社宅時代のお話がメインでしたね。



それではまた明日。






補足(毎回言います、初めて読んで頂く方もいらっしゃるので)
当時2003年といえば17年前の出来事であり、ここで書いてあることは面白いようになにかを誇張した部分は全く無いですが、自分の記憶をたどってなので全部が細かく正しいかって言われるとそれは自信ありません。
あくまで1つの読み物として捉えてください。

また冒頭でも書きましたが、ぼくは大変お世話になった会社のことを悪く言いたいつもりはありません、また絶えずいろんなメディアでも発言してますが、生まれ変わってもまた光通信で働きたいです。本気でそう思ってます。この気持ちだけはみなさまに伝えておきたいです。




最後に。
読んで頂きありがとうございます。
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