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人生ではじめて就職しようって思ったのが光通信という会社でした

まえおきとして

さて、noteを毎日書いてて500日を更新したわけですが、その中でせっかくなんでUUUMの前に勤めたである光通信のことを書こうって決めたわけです。もちろん、いままで当たり前のようにUUUMのことを書いたりしてますが、一応自分の会社だし良し悪しもわかってるうえでのことです。

ぼくにとって大変お世話になった会社のことを書きたい、そしてそこでの経験が今のぼくを形成してるというのは間違いないのですが、いかんせん他社さまのことなので書けること、書けないことなどあると思いますがそこはご了承ください。

それでは。



入社のきっかけは同棲目的でした

このくだりから書いてると最終的に高校生編とかもnoteで書いたりして、それこそ島耕作的なシリーズ化しそうで怖いですが、19歳で大学にも行ってなく(在籍はしてるが通ってない)、ぼくは当時230円のフロームAという雑誌の冒頭にデカデカと記載された会社、光通信に入社しようと決めたわけです。

どうして決めたのか?と聞かれると一番最初にあったからというくらいしか記憶がなく、そしてどうして社会人になろうと決意したかというと当時付き合っていた彼女と結婚を前提に同棲したくって、ちゃんと社会人になろうっていう、ただそれだけでした。


(ちなみに彼女とはのちに別れます...)


ぼくの両親は東京の池袋で働いてたことがあり、当時ぼくが入社するときにも光通信という会社は池袋に本社を構えていたわけで、父親からは「あの会社は上場しててすごい会社だ、そして色々とすごい会社だ」というなぞのコメントをもらいました。


ネットで光通信のことを調べるといろいろと出てきます。たぶんこれでも少なくなったんだと思いますが、2000年前後のバブル崩壊のときには社会的にも話題になるほどだったと聞きます。ぼくが上記で入社するのは2003年からなので、みなさんぼくよりも大人な方が思い描いてる会社のイメージとはちょっとだけ違うかもですね。


そんなこんなでぼくは2003年11月に光通信に入社しました。
(いま思うと感慨深いなーって思いますね、この年月が)

繰り返しますが何をするのかも全くわかってなかったですが、とりあえず職につけたわけです。そんなぼくに対してまず出てきた最初の関門が「合宿」というやつでした。この合宿が一言でいうと突き抜けてたわけです。

(ここで再度前置きしておきますが、以前の話、昔はこういう時代だったよなーって話なので、いま時点のことではないのでそこはしっかりとご理解を!)


合宿初日

会社からの案内で2泊3日の合宿(多分当時は研修という名目)があるとのことで、当時実家くらいだったぼくは準備をして池袋のビックリガード(そういうガードがあるんです)に集合しバスに乗ったわけです。

ちなみにぼくの人生でもちろん辛いことだったり大変だったなって思うこともありましたが、この合宿は社会人になって一番最初の辛い出来事でした。

まずは行き先の細かいことは聞かずにバスが走ります、3時間くらい。途中サービスエリアでごはんを食べます、行き先もわからないまま。そして道中バスの中ではずっとプロジェクトXのような光通信の歴史的なビデオを強制視聴されます。(正直感情移入できずにどうしたらいいんだってなります)


そんなことでバスがどんどん山の中に突き進むわけですが、たどり着いたら本当に山の中でした。長野県にある高遠という場所にある施設でした。

繰り返しですがぼくは当日までどこに行くのか聞かされてません。
(当時は19歳なんでもしかしたら聞いてて覚えてないかもしれませんが)

そして着いたらすぐに体育館みたいなところに集合されられて、インストラクターの方(当時の偉い方)のありがたいお話と会社の歴史みたいなことと、社訓と社歌が書いてるテキストを読みます。

ここはなんか納得感ありましたが、ここからです。

たぶん、お昼の15時くらいから体育館でみんなで立ち、そこからずっと社訓と社歌を言い続けます。言葉でいうと言い過ぎっぽくなりますが、「叫び」続けます。これ、本当にやったんですよ、当時のぼくたちは。

そして地獄はやってきます。


本当にずっと叫びました。


ずっと。



ずっと。。




19時を超えて夜ご飯の時間になろうとしてもまだ叫び続けました。誰もが思うわけです、「これはいつまでやるんだろう、、、、」と。そしてついにその時がやってきたわけです。


トントンっ(肩を叩く音)


インストラクターの方が良いと思った人に対して「おつかれさま」というわけです。これでやっと叫ぶのを止めることが許可されるという仕組みです。そうして終わった人は夜ご飯からお風呂にいけるという流れなわけですが、、、ここで新しい地獄が。


季節は秋ですが何時間も叫び続けぼくたちは汗だくです。本当に。
それなのにそこ(高遠の保養所的な場所)は21時までしかお風呂に入れないというじゃありませんか!!!


なんと!


もっと早くいってよ。というかもっと早く肩叩いて終わらせてくれよって切に思いましたが、ぼくの場合は最終20:30くらいにやっと叫ぶのを止めれました。(ちなみになにが悪くて遅かったのか未だにぼくにはわかりません、きっと目つきか声が小さいかインストラクターの機嫌なのか、、そんなところだと思います、そう思いたい!)


その日ぼくは汗だくのまま、結果お風呂には入れませんでした。


そして次の瞬間に「明日は5時起きだから早く寝てください」って言われるんですよ。


ん?小学生なの?って思うわけで、もうよく理解もできないままコテージに向かうのですが、ここから夜が長いんです。


まず大前提でぼく(ぼくたち)はどこに行くのか知らされてません。長野県の高遠という場所、かつぼくたちが宿泊したところは山の中でそれはそれは寒いわけです。たぶん夜は気温が±0度とかになってるはずで、そんなところで夜を明かすためのパジャマなんて持ってきてないわけで!!!


これ、本当に汗だくのまま寝るんで心が折れるわけですよ。


そして次に寝るためのコテージは絶対に許容された収容人数よりはるかに多い人数が寝てた気がします、みんな寒そうに。そんな中でやっと24時をまわりちょっとは寝れるかなってときに..



お昼休みはウキウキウォッチング、あっちこっちそっちどっち いいとも
(突然なりはじめる、笑っていいともの音、、)



だれ!?変な時間に笑っていいともの曲をアラームにセットしてるやつ!というかんじでコテージ内に鳴り響いてみんな起きるという謎の事件が発生。もう、、すごい状況ですよ。

ちなみにこの1日目の中でぼくは両親に合宿にいく、着いたら連絡すると行ってましたが、着いてからはずっと携帯の電波が入らない場所で、、これはもう拉致されたのと一緒だなって思って過ごしてるわけです。

本当にいろんな意味ですごいですよね。
こうして初日が終わったんです。


合宿2日目から帰宅

2日目は言われてた通り、5時起きでした。本当に。そして集合して話を聞いたあとに今日は何するんだろうなって思ってた矢先に予定が告げられたわけです。


「えー、今日はチームとして5人であの山の向こうまで行って帰ってきてください」



、、、



もうね、いろいろと言いたいことが溢れてて、、
合宿は全部で50人くらいだったと思いますが、その中でチームをつくり団体として、マラソン(?)をしろと言うわけですよ。しかも目的地は「あの山の向こう」という表現。本当にすごい。


ぼくはフルマラソンを4回ほど完走したことがあります、しかも練習は1度もしないで完走するという人としてはどうなの?って行為を毎回繰り返してるわけですが、そんなぼくだからハッキリとわかります。


その日ぼくたちは「あの山の向こう」まで行ってきたんです。走ったり歩いたり、道中で携帯の電波がやっと入って生存報告をしたりといろんなことがありましたが、やりきったんです。


12時間かけて。





・・


・・・・




いまのぼくならハッキリといえます、あれは40キロから50キロくらいをその日で走りきってます。12時間ってそれくらいの距離です。そしてまたあのルールも生きてますよ、21時を超えるとお風呂に入れないってやつです。

この合宿には女性の方も参加されてました。ちょっと差別っぽいですが、体力がない見た目も方もいらっしゃいました。そしてチーム制なのでみんなで揃ってゴールしないといけません。タイプアップは21時です。。


もう考えたくないですよね。


なんでこんなことをしないといけないんだろうって100回くらい本気で思ったと思います。思っても仕方ないけど思ったと思います。ほかにやることもないし、それくらい納得はできてないので。

それでもやるしかないのでぼくたちは走り抜けました。

そして、それがぼくの人生においてめちゃくちゃ大切な1歩だったと思ってます。これは綺麗事でなくて。

合宿の意義ってこれだけ理不尽なこと満載なんだけど、きっと「自分の殻をぶち壊せ」って意味があったんじゃないかなっていま思うとそんなかんじがしてます。

(これは脳内があまりに辛すぎてぼくが綺麗ごとにしたい願望でここにもしかしたら辿り着いたのかもしれませんが)


ぼくはこの合宿においてたしかに殻を破ったんです。これは間違いないと思ってます。学生気分だった、社会人経験もろくにないぼくのマインドセットをしてくれたのはたしかにこの合宿だったなと、そう思います。


初日のぼくは腐ってました。
2日目のぼくは道中で覚醒しはじめてました。
3日目のぼくは覚醒したので帰宅後には平然と両親に「いろいろあったけど大丈夫」って言ってましたね。


それくらいな体験だったと思ってます。
(何度も言いますが当時の話であってきっと今はこのような合宿はやってないでしょう)



合宿を振り返ってからの出勤

こんな強烈な体験をして覚醒したぼくは休み明けからいよいよ仕事だ!って気持ちで出勤したわけです。そこにはあの合宿を乗り越えた仲間たちもたしかにいました。



全体の10%くらいでしたが。。



あとから聞いてみると、当時は本当にマンモス採用(この言葉古いんだろうなー)で月に1000人くらいガッツリと採用出して、そのあとに合宿に詰め込んでって流れが出来上がっててそこで1000人が100人くらいになるわけです。

本当にすごい仕組みだ。


ちなみに合宿の最終日はなんか午前中に奇跡のような、ゆるーいオリエンテーションがあってそこではアメとムチでご褒美が用意されてて、ぼくは賞を取れなかったのでもらえなかったですが、ここまで辛いあとにこれかって思ったことだけは覚えてます。


ただし、本当にそれまでの体験が凄すぎて、3日目のゆるいのは記憶から飛んでますね、それくらい強烈でした。



ということで改めて19歳のぼくは池袋で社会人として一歩を踏み出すわけです。(つづく)




補足
当時2003年といえば17年前の出来事であり、ここで書いてあることは面白いようになにかを誇張した部分は全く無いですが、自分の記憶をたどってなので全部が細かく正しいかって言われるとそれは自信ありません。
あくまで1つの読み物として捉えてください。

また冒頭でも書きましたが、ぼくは大変お世話になった会社のことを悪く言いたいつもりはありません、また絶えずいろんなメディアでも発言してますが、生まれ変わってもまた光通信で働きたいです。本気でそう思ってます。この気持ちだけはみなさまに伝えておきたいです。





最後に。
読んで頂きありがとうございます。
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①人生相談というnoteを書きました。ちゃんと回答していきたいと思うのでぜひあれば書き込んでみてください。
②note内にサークルがあります。こちらもよければ。


本当に最後まで読んでもらいありがとうございます。
全文無料で読めますが、やってみたいので有料にしてみました。笑
以下、購入してもらえるとぼくのどうでも良い言葉が見れます。


すみません、、いろいろ考えてやっぱり有料やめました。お許しをー。


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