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入社して1ヶ月で出勤しなくなり飛んだあとに異動になった19歳

前回(光通信の合宿のお話)を経てからの、2回目になるわけですが、めちゃくちゃ地獄だった合宿で一皮むけてしまったぼくはいよいよ出勤しはじめるわけです。


ん?会社名が違うんだけど

いよいよ出勤という日、言われたオフィスに向かったわけですが当時は池袋にある住友駅前ビルというそれはそれは綺麗なビルにあるオフィスに向かったわけですが「光通信」って文字がどこにもないんです。。

そしてたどり着いた場所には ニュートンフィナンシャルコンサルティング という文字が。名前を聞いて分かる人は当然わかると思いますが、光通信は光通信グループということでいろんな業種に対してそれぞれ子会社を持っていました。

ここでいうニュートンフィナンシャルコンサルティング(以下、ニュートン)は保険(第三医療分野の保険業が一般解放されたあたりだったので)の販売代理店の会社でした。

そうなんです、その当時の光通信はとりあえず採用しておいてそのあとにどこのグループ会社に出向になるのか決まるってかんじです。(さすがマンモス採用!)

ということで、ぼくはよくわからないまま保険を売る会社に入社しました。



ランチは中華料理屋でそして..

入社した日のことをぼくは一生忘れないと思います。いろんな説明を聞く、そして研修を受ける、そんな日々ではありましたが当日のマネージャー(一般的には課長という役職になるのかなと)がランチを食べにいこうと新人の何人かを誘ってくれました。

そのマネージャーさんはストライプのグレーのスーツにGUCCIのベルト、そして髪型は茶髪でツンツンのモヒカン的なかんじ。いろんな意味でやべーなって思いましたね。

そしてオフィスの目の前の中華料理屋に連れてかれたぼくはまたそこでやべーなって思うわけですが。

緊張してるぼくの前でこういう注文が入ります。




大将!ビール!(マネージャーさんが頼む声)




ん、、、?



??



そういうものなの?社会人ってビール飲みながら仕事するもんなの?





いろんな疑問が頭をよぎります..


(当時はいい時代でしたね)




そんなわけで衝撃的なランチを出社初日でぼくは体験をするわけですが、改めて、保険を販売する会社に入社したわけですからぼくはいち営業マンとして(コールセンターですが)、保険の営業をスタートするわけです。


はじめてのテレアポ

ということで、ぼくは人生で全く関わってこなかった保険を売り始めます。(正確には保険商品を販売するには免許的なものが必要でそれは勉強してすぐ取りましたというのは割愛しますが。)


みなさん、テレアポってしたことありますか?
もちろんぼくは初めてのことでしたが、最初の電話はもう何を話したのか覚えていません。笑

それくらい緊張したんだと思います。

当時のテレアポシステムはパソコン上でボタンをクリックすると自動で電話がかかってヘッドセットをつけた僕たちは話し始めるって仕組みだったんですが、一番はどういうお客さんに対して電話するのか?ってところでして、僕たちの時はタウンページの連絡先をデータ化されたものをベースとして架電してたと思いますが、きいた話ではもっと昔とかは、みんなでタウンページの最初、いわば「あ行」から電話をしていたみたいで、お気づきのとおりでみんな同じタウンページから電話するから「さっきも同じ会社から電話ありましたよ」なんてこともざらにあったようです。

(恐ろしいというよりは、さすがというか...)


ということで営業という職種を体験し始めたぼくはすぐに心が折れるわけですが...




〇〇さん、いらっしゃいますか?

テレアポを始めてこれが正しいのかそんなことはわからないままぼくは毎日電話をかけ続けました。

ちなみに営業成績、保険を売るということについてぼくはあまり優秀ではなかったと思います。迷惑をかけるほどではないですが、人に自慢できるほど獲得できてるってわけでもなかったかなと。

まだ1ヶ月に満たないと思えばそんなもんなんだと思いますが、19歳のぼくにとって衝撃的な事件が起こります。


なんとなく毎日電話をかけ続け、そしてやはり慣れない営業と、なにより社会人経験自体が初めての中で、モチベーションが決して高くない中で過ごしてたぼくはある電話をかけます。


いつもどおりテレアポシステムのボタンを押して...



トゥルルルルル(電話音)


ガチャ(電話でてくれた音)


あ、〇〇さんのお宅で良かったでしょうか?
わたし、保険の代理店のニュートンの鎌田と申しますが、〇〇さんいらっしゃいますでしょうか?
(と、いつものマニュアル通りの挨拶のぼく)


はい...〇〇ですか?どのようなご用件でしょう?また面識はあるのでしょうか?(電話先の女性の方)


はい、わたし以前に一度〇〇さんとお話しさせていただいたことありまして、その件でご連絡しました(アドリブトークのぼく)






〇〇は2年前に他界してますが、どのようなご用件でしょうか?(電話先の女性)





。。



。。。



あ、そうですか。それでは大丈夫です、失礼しました。(ぼく)


その瞬間、ぼくのこころがたしかに折れた音がしました、ポキッと。



なんでしょうね。
もう全てがどうでもよくなるなこの気持ち。本当に折れた音がしました。


先ほども説明しましたが、当時のテレアポシステムは何年か前の連絡先を取り込んで、そこから連絡するわけで、確率論として決して連絡先の方がご存命であるというのは100%ではないというのはなんとなく理解してましたが、19歳のぼくにとってその出来事は唐突に突然に色んなことを与えました。


そもそも平気でこんなトークしてるぼくはなんなのか...


そこからのその日の仕事の記憶はありません。気がつけば家にいたという感じだったなと。



そしてぼくは翌日会社には行きませんでした。




折れたこころは元どおりには簡単に戻らなかったんでしょうね。何も考えず、会社にも連絡をせずに普通に休みました。ズル休みです。

小学校や中学校とかとは訳が違って、社会人になってから連絡をせずに休みました。会社から電話もかかってきてた気がしますが、出ませんでした。



いわゆる「飛んだ」ってやつです。
(この漢字が正しいのかわかりませんが)


ボーッとしましたね。その時は。普通にテレビ見て、飯食って寝て、それを何日も繰り返しました。会社のことなんて一切考えず。


ふとした時に考えても、あーっ、また就職先を探さないとなー、くらいですね。それくらい人としては無って感じでした。



(いま思うといろんな辛いことがありましたが、無断でサボったのは後にも先にもこの時だけだったなと。まぁ、サボったというよりは無断でバックれて辞めるって感じだと思いますが)



総務課へのコンバート

そんなとこで3〜4日経ったその日、いつもと違う電話番号からかかってきた電話にぼくは出るわけですが、それは光通信本体の人事部からの電話でした。


今でも覚えてますが、すごく優しい声で、そして事情はある程度認識されてる中で、違う部署で働かないか?という連絡でした。

これがぼくにとっての次の転機になる訳ですが、当時の人事部の方(お名前は清水さんという女性の方)、本当にありがとうございました。


余談として..
邪推深いぼくとしては採用した社員が無断で辞めていく、それは人事としての数字の中では非常にまずいということは後々になり、今のぼくとしては理解出来ちゃいますが、そんなことをおいといて、本当にあの時連絡頂いたことに感謝しております。



話を伺いに行ったのは保険のコールセンターだった住友ビルではなくて、光通信本体が当時あった、池袋のビックリガード近く、旧西武鉄道のビルだった「光通信センタービル」の4階、人事部でした。


そこで清水さんと少し話した後にこんな案内をもらいました。


「光通信本体の総務部総務課が人員を探してるようで、そこが良ければ面談繋ぎますが、興味ございますか?」と。



ぼくのその時の気持ちは素直に、バックれたぼくにチャンスをくれるこの会社ってどんだけいい会社なんだ!と気持ちと、総務課って何するんだろう?ショムニ?という感情が混じってました。


でも面談の機会をすぐさまもらうことができ、ぼくにとって、総務というところで結果としては長くお世話になる上司となる方と面談したわけです。


(ちなみにぼくは総務に異動して以降、光通信を辞めるまでに出会った上司は全て素晴らしく、この人達に全員と関われたから今のぼくがあると思ってます。それはまた別のところで書くかもしれません)



聞かれたことは至極シンプルでした。



「鎌田くんは、スペシャリストとゼネラリストとだったらどっちになりたい?」



と。


ぼくは色んなことが出来たらいいなって思ってその時はゼネラリストって答えたことを覚えてます。本当に懐かしいですが、この答えが正しかったのか、それは今もわかりません。


でもこの質問はすごく今のぼくが形成されていく中で大切な選択だったのでは?と今も思いますし、その時は安易に回答しましたが、なかなかあとで考えても意味深ですよね。



ぼくはその面談をパスし、そうしてぼくは総務部総務課に配属されるようになりました。
次回から総務時代がはじまります。




というか、2回目まで書いたけど、まだ19歳だし2ヶ月くらいの期間で起こったことしか書けてない。濃厚すぎるな。

そしてこれパートいくつまで続くんだろ。笑





補足(毎回言います、初めて読んで頂く方もいらっしゃるので)
当時2003年といえば17年前の出来事であり、ここで書いてあることは面白いようになにかを誇張した部分は全く無いですが、自分の記憶をたどってなので全部が細かく正しいかって言われるとそれは自信ありません。
あくまで1つの読み物として捉えてください。

また冒頭でも書きましたが、ぼくは大変お世話になった会社のことを悪く言いたいつもりはありません、また絶えずいろんなメディアでも発言してますが、生まれ変わってもまた光通信で働きたいです。本気でそう思ってます。この気持ちだけはみなさまに伝えておきたいです。




最後に。
読んで頂きありがとうございます。
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