100日哲学チャレンジ☆5日目

 本日、衝動買いしてしまった書籍がこちら↓↓↓↓↓

 宇都宮 芳明(2019) 「倫理学入門」,筑摩書房 です!

 本当は小説を買おうと思っていたのですが。

 手に取って1ページ読んでは、ちっとも読み進められないことを繰り返していくうちに、心が荒んできて。また買わなくなってしまいそうな流れだったので、結局買うのは、慣れ親しんだ哲学の本。

 僕は、買い物全般が苦手です。世の中にはモノが多すぎて、どれを選べばいいのか、よく分からず。例えば今日も、黒の革手袋を探して2時間程駅前を彷徨いましたが、何処の店に売っているのかが分からず。結局、友達に電話して、イオンが一番手に入りそうだということが分かり、手に入れることができました(といっても、革は見つからず、黒の合成繊維で妥協したのですが)。

 さて、ブルデューの「ディスタンクシオン」の話を昨日までしてきた訳ですが。彼は社会学者ですが、フランスはパリのエコル・ノルマル・シュペリユール(高等師範学校)で哲学の教員資格をとっています。「あ、やっぱりフランス哲学がスタートなんだ」と思った僕は、やはり一度、哲学を体系的に学び直したいと思うようになりました。

 そこで、普通は衝動買いなんてしなさそうな(と言うのは失礼なのかもしれませんが)、「倫理学入門」が僕にとっては光り輝いて見えた訳です。

 今日は、「第1章 倫理学がたずねるもの」を読みました。「人間とはなにか」という問いについて問う、という話から始まっていました。まるで「銀河ヒッチハイクガイド」の中で、「人生、宇宙、全ての答え」を聞いたときの話みたいですよねw

 ですが。僕は大学生の時、哲学対話をよく大学の授業の中で後輩たちとしていたのですけれども(僕は、趣味で他学年の授業も受けていました)、その時に感じていたことがあります。対話は言葉でなされるものであって、言葉は実は不完全でボヤボヤして、人によって違うものである。ゆえに「対話」を本当にしようと思ったら、お互いに使う言葉の意味合いまで、確認しながら進めていく必要がある訳です。

 例えば、「赤」という言葉があります。試しに、「赤」という言葉をグーグル検索してみてください。色んな「赤」色が出てきますし、赤色をしたモノだとか、血のイメージとか、赤唐辛子のイメージから辛いとか、色々なことを人は想像します。そもそも、色覚に生まれついて障がいのある方にとっては、「赤」は全く違う意味をもっているでしょう(もしくは、情報として意味を成さないのかもしれません)。

 議論する、定義する、「~とは何か」ということを考えるのが、「哲学する」という営みになるのなら。まず、「『~とは何か』とは、何か」について、考えなくては、考える範囲が分からないということになってしまうのです。

 因みに、以上のことは「倫理学入門」には書かれていませんが、自分なりに書いてみました。ブルデューの「ディスタンクシオン」は、「趣味や嗜好という個人的な領域が、いかに社会と結びついているか」を述べた本です(岸,2020)。ですが、僕はここで、そもそも人間とは、人間らしさとは何か、が気になってしまったのです。

 そこで、一旦寄り道をして、「倫理学入門」から、人間がこれまでどのように「人間とは何か」を考えていたのか、学んでみたいと思います。まずは哲学の、できる限り大きな「全体マップ」のようなものが僕は欲しくて。「全体マップ」を見ながら、自分は今どの分野、どの目線で人間、社会について学んでいるのだろうということを、知りたいと思います。

 ですが、「ディスタンクシオン」はかなり面白かったので、また引き合いに出したりするかもしれません。ということで、また明日☆

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