見出し画像

憧れの行動は憧れの状態だった話

今年になってから「あこがれるな・いいな~」には挑戦してみることにしています。ちょっと遠目で見ていた自分軸手帳とか、盛り上がっていて楽しそうだな~と思っていたことに飛び込んでみる。
もちろんこの「#書くチャレ2」もその一つ。美穂さん、自分軸手帳繋がりで一方的にXで存じ上げているだけですが、チャンスをありがとうございます。
せっかくなので、なんでそんなマインドになっているんだ?という自分の掘り下げをしてみようと思います。

①自分がうらやましいと感じる気持ちを認められた
これ、いい年齢したおばさんが何言っているんだ?って思うじゃないですか。私もそう思うんですけど…。自分がいいな・うらやましいな~っていうことを素直にできることができていませんでした。いつも「いいな、けどあの人と私は違うから」とそっと蓋をしまう。

これを正面で受け止められるようになったのは、自分に少し自信がでてきたからかもしれない。前向きにとらえられたタイミングを考えてみると、きっかけは普段の仕事が評価され始めてきたから。それまでは同期よりも昇進・昇格のタイミングは遅いし、やっている仕事も重要じゃない(気がする)。でも、環境が変わって、仕事も仲間もたまたま自分にフィットしているものだった。また、部長からの評価が良好だと分かっている状況があった。そんな些細なことでしたが、自分が評価されている・認められていることを肌で感じ、余裕ができてきたからこそ自分の欲求に素直になれた気がします。

仕事がすべてじゃないけど、私は仕事で認められたかったんだなぁ。仕事は自分の軸の一つとは理解していたけど、私にとっては自分が思うよりも大きな軸だったみたい。

②「行動」をまねても、あこがれの「状態」になるわけじゃなかった
やる前は、あこがれのことをやってみたら劇的に何かが変わる気がしてた。
実際にやってみると案外何も変わらないし、あこがれている人の行動だからやってみたいだけ、のこともあった。自分がやってもなんかしっくりこない。
なんでそれをやりたかったかと考えると、それをやっている自分にあこがれていたのではなくて、相手にあこがれていたんだろうなと気づく。
例えば、みんなからフォローされて自分の考えを仕事にできて・・と。いいなぁと思う人がやっている行動にあこがれていた気がして、まねっこ。
結果、いや、これじゃないな・・?と気づくって感じ。
行動にあこがれていただけではなくて、状態にあこがれてたんだ。
自分がなれていない状態にいることが羨ましかった気がする。
そこに気づけただけでも、やってみたことは価値あることなのかもしれない。

今回私は「あこがれ・いいな~」を実際にやってみることで自分がどうなりたいかの解像度を上げられた気がした。
まだまだ「これ」っていうものを見つけたり、自分がその状態になるのは遠き気がするけど、何となくこれでいい感もある。
試行錯誤しながら、道を引き戻しながらでも自分が満足する自分になっていきたいな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?