過敏性腸症候群について(1)

 過敏性腸症候群という症状について、昨今その認知が広がってきたなと思います。筆者自身この症状と長年向き合ってきた身であり、その思うところや当事者でしか感じないことなどを書こうと思います。この記事は続けていくつもりです。今回は学術的なことというより、自身の経験をお話しようと思います。

 過敏性腸症候群はIBS(Irritable Bowel Syndrome)ともいわれ、精神的なストレス要因がもととなって腹痛や下痢、便秘などさまざまな身体症状が現れる状態のことをいいます。これは10人に1人程度の人が患っているといわれます。しかしその有病率は20パーセントとされることもあり、まだまだこの症候群についてはわからないところがあるというのが現状のようです。要因も精神的な負荷が原因とされることが多いですが、そのようなものが見つからないという場合もあるようです。今回の記事は具体的に要因がわかっている方向けのものになると思います。

 筆者自身のことを振り返ると10代の前半からこの症状と格闘してきました。さまざまに大変なことはあったのですが、思春期にIBSを患う者にとっての一番の困難はやはり学校というものだと思います。学校というシステムは過敏性腸症候群を患う自分にとって、とてもきついものでした。この症候群については一概に原因を決めることができず、また個人によってもその要因はさまざまななので簡単には言えないのですが、私自身の大きな要因としては次の二つがあるかなと思います。

 一つはそもそも学校や会社などの社会的なシステムが自分にとってストレス要因となっていたということです。人付き合いが特別苦手というわけではないのですが、「〇時までここにいなければいけません。」とか「給食やお弁当は全員で向き合って食べなければ……」など、そういうことが全般的に苦手でした。今ではそういうことも一周回って面白がれるように(?)なりましたが、幼い自分にとっては苦しく、しかもそれを人に打ち明けられないという困難な状況だったと思います。

 もう一つの要因としては上に書いたこととも関係しますが、「体調が優れない」ということを打ち明けられないという性格の傾向があるように思います。これは正直、大人になった今も同じです。どんなに万全を尽くしても「今日は体調が悪い」なんてことはどうしても発生してしまうもので、そういうときは人に打ち明けなければいけないのですが、どうもそれが苦手でした。気分が悪い、どうしよう、という緊張と身体の苦痛の中でクラクラしながらなんとかやり過ごすなんてことは、数えてもきりがないぐらいあったと思います。人に言えばいいのに、という感じですが、当事者としてはどうしても言うことができず、「何か身体が変だ→人に言えないし頑張って乗り切らねば→乗り切れないくらい苦しくなってきた→ふらふら~」という悪循環でした。ここまで来ると、体調が悪いから辛いのか、体調が悪くても人に言えないことが辛くて体調が悪くなるのか、どっちが先かわからなくなります。結論としてはこの状態を長年そのままにしておいたために、過敏性腸症候群が原因となってパニック障害を併発することになりました。記憶をたどればどちらもはじめからあったのかもしれないとも思いますが。

 脅しているわけではなく、日々耐えている方、頑張っている方へ、少し肩の力を抜いてほしいなという気持ちからこのことを投稿しました。当時の自分は、病気は気持ちが強くなれば治ると思っていました。弱い心が原因だからいろんな場所に出かけて行って、苦痛となることもやって、強い自分になろうと思いそれを実践していました。でもやはり今思うとそれは違っていたと思います。自分の身体に負荷をかけて、病気を心の弱さのせいにすることは身体がどんどん悲鳴をあげる方向へ行くだけでした。服薬の量が増え、しかし体調は良好にはならず、気持ちも身体もどちらも限界だったと思います。

 これもまた一概には言えないのですが、過敏性腸症候群もパニック障害もそのことを強く意識して、治そうという気持ちが自分の圧力となればなるほど、〈治る〉ということからは遠ざかっていくように思います。「トイレに行けばいいじゃん」というような簡単なことではないのです。トイレに行って本番何事も無いように備えなきゃと思えば思うほど、身体はびくともしなくなる。不安のまま逃げられない状況に行かざるを得ず、そうすると具合が悪くなる。一度休憩すればOKというわけではないのです。しかし当事者でなければなかなかこのことを理解することは難しい。それはしょうがないことだとも思います。

 私は今はこの状態から少し楽になっています。それは何か原因があったというより、自分がそういう症状を持っているんだなということを受入れ、そのことが自分にとって自然となったからだと感じます。今でも自分の周りで私の疾患について知っている人は一人しかいませんが、それでも自分にとっては大きな変化でした。カミングアウトが必要というわけではなく、人に言ったことで緊張が少し解けた、自分自身そういう自分も含めてできることをやっていこうと思うようになれたということが大きいように思います。

 当事者であり、ひとつ山を越えた人間として思うことは、「自分に合う環境で頑張る」ということを選択肢の一つとして持つことかなと思います。もちろん今のところにとどまって周りのサポートを受けながら頑張るということも一つの選択です。そこで良い友人や知人に出会えることもあるでしょう。しかし身体が辛い、悲鳴を上げていると思うのであれば、自分に合った環境を選ぶということも必ずできる選択肢の一つです。〈自分が強くなる〉ということよりも、身体の不調に耳を傾ける、その特徴をもってでもできることや自分が目指したいことに取り組むということがあってもいいように思います。

 今、昔のことを余裕を持って眺められるようになると、私が目指していた〈強い自分〉というのは何だったのかな、と思います。今は〈強さ〉というよりも、これも自分だと思うことやそういう過敏さを持った自分にある長所を見たいと思っています。〈治す〉ということに焦らずに、自分を大切にしたいなとも思います。

 (今日はおわり)

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