本が読めるまで(10)志賀直哉と芥川のこと。

 今年もあと数時間で終わりです。言葉では言い尽くせないような、そんな一年だったと思います。昔の文豪や批評家と話したいな。今の時代を何と言うのかな、なんてことを考えたりします。

 今日は一年の終わりで、特にだから何だという感じですが、ずっと考えていたことを書きたいと思います。芥川龍之介と志賀直哉のことについて。

 志賀の作品で「沓掛にて」という作品があります。ちくま日本文学の『志賀直哉』にも入っていますし、もちろん志賀直哉全集にも入っています。(以下引用は文庫の『ちくま日本文学 志賀直哉』筑摩書房からです)。これは芥川が亡くなった昭和二年の七月から二か月後の九月に追悼文のような形で書かれたものです。私は志賀の作品や文章が好きなのですが、この「沓掛にて」も志賀の人間らしさがあって好きです。わざとらしくなく、でもちゃんと芥川さんへの想いがつまっています。

 いい話だなと思ったのは、芥川と小穴隆一が志賀の家を訪ねた時の場面が描かれた箇所です。芥川が所蔵している印を三人で見ているとき、「〇哉」という、字がつぶれて判別できない印が出てきて、これが「直哉」だったら自分がもらうべきだというような話をしたと回想されています。芥川は「もしそうだったら献上します」と言ったそうです。お礼というか、お返しに、志賀は自分の持っている印を見せたそうですが、志賀曰く「芥川君等の眼からは一顧の価もない物を」一つひとつ感想を言いながら丁寧に見てくれたそうです。こういう文章からお互いを思いやる気持ちがみえて、いいなと思います。

 これも「沓掛にて」で書かれていることですが、芥川は、〈芸術がわからない〉というようなことを言っていたようです。正直な人だなと思います。多分それはみんなわからない。もっといえば〈わからない〉ということにたどり着けただけで、すごいんじゃないかと。そういう〈わからない〉人が書いた文章にこそ価値があって、遺していかなければならないものだと思います。

 一人の作家に向き合う、一冊の本に向き合う、そういうことができてないなと自分で思います。一生をかけてひとつのことと向き合う、そういう生き方でいいんじゃないかなと思います。

 時代は大きく変わろうとしていますね。個人的には仕事やいろいろなことも含めて、自分の生き方というものも見つめ直していくときにきているような気がしています。新しい年をむかえて、一冊の本にじっくり向き合う、そういう年月をこれから過ごしていってもよいのではないかと思っています。あと、自分にできることは何かということも。

 以前も書きましたが、今起きていることは別の世界のこと、なんて思いたくないです。自分の身近で起きていなくても、見えなくても、それは自分のすぐ隣に起きていることだと。自分にできることを考えていきます。

 新年をむかえることを迎春ともいいますね。冬が続いたけど、季節は移り変わるー。毎日を変わらず過ごしながら、春を迎える準備をしていきたいと思います。

よいお年を。

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