言葉について考える(13)戦禍と言葉

 世の中は変わった。

 noteを始めたころ、自分が書くものには政治的主義主張を含めるのはやめようと思っていた。そのようなことを発信するのは別の場所でいいからだ。自分の詩や言葉について書いていける場所でいいと思っていた。

 しかし、世の中は大きく変わった。政治的発言を含まない方が難くなった。

「何も言わなくていい」という時代は、平和だったのかもしれない。

 noteに書いてきたことで一つ自分でもずっと考え続けている問いがある。
それは「あと10年後に戦争がはじまるとわかったら、わたしは言葉について考えるだろう」という文章だ。

 改めてこの中で書いたことを読み返してみると、10年後の脅威に対して,
はっきりと言葉で対抗するとは書いていない。半年あまりの期間で自分の考えを無意識の中で徐々に補填していたのだろうか。

 脅威に対抗するために言葉について考えるという意味は、もちろん言論の戦いでどう勝利するかということではない。言葉について考えるということはつまり、そもそも勝者とはなにかということを考えるということだ。民族とはなにか。民族の形成と言葉とはどういう関係なのか。多様な文化とはなにか。そのようなことを考えるということだ。

 勝利とはなんだろうか。正義とは何だろうか。

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