新書は現代への手解き

「#新書が好き」

このタグはわたしの為のものじゃないですか。

そんな風に思うぐらい新書というものに惹かれます。

 なぜだろう。それはきっと新書には「現代」が詰まっているから。それは今だけの現代ではない、「かつての現代」も詰まっている。新書といっても今だけのものではない。何年も前の新書が今でも書店にあるとちょっとうれしい。これぞ「新書」。

 「現代」を知りたいとき、新書を見にいった。お金がない、仕事も安定せず、そうなると社会との接点もなくなって、自分が社会で孤立しているんじゃないかと思う。そういう思いを落ち着かせるために、新書を見に行った。

 書店に行けばいろいろな空気を感じられる。まず入り口には夏フェアとか流行の一角があって、そこにはにぎやかなポップが飾られている。書店に来ました! というお出迎えをすでに受ける。

 雑誌のコーナーに行けば今活躍中の俳優やアイドルがキラキラしていて、9月を過ぎれば来年の占いの本も出てくる。かつて世の中が自粛モードになった時も、ここには変わらないカラフルさがあった。毎年季節の変わり目をこのコーナーで感じたりする。

 かつては固い学術書のコーナーに直行していたけど、今はいろいろなものを見て寄り道を。学者とか研究とか、そういうものってそんなに格好いいものじゃなくて、もっと日常の中に発見があるものだったんだなと気がついた。

 今一番好きなのは新書のコーナー。新書は装丁は一様だけれども、だからこそそこに書かれた文字が映える。「データサイエンス」、「戦争」、「国交樹立」、「新しい労働」etc.そういう文字から、今世の中で何が起きているのか知ることができる。振り返れば、大事にしてきた言葉や概念は、固い表紙の専門書の中だけではなく、新書の中にもいくつもあった。たくさんある新書の中から、今日は何を選び取ろうか。

 買うつもりがなくても出会えるのが新書のいいところでもある。この本も偶然見つけて買ったもの。

北村紗衣『批評の教室』筑摩書房、2021年9月

 やっぱりわたしは批評が好きなようだ。「批評って何?」そう思っていた学生時代から、でも気づいたら書棚には批評関係の本が増えていく。今でも批評って何? と思いながら読んでいます。

 小林秀雄は批評は簡単ではないと言ったけれども、その意味を現代になっても批評家は考え続ける。批評は何のためにあるのか。それを考えることがすでに重要で、とても重要だ。

 「いい本」はどれも難解だ。難解というのは単に難しいということではない。平易な言葉で書かれていても、それを本当に理解するには長い年月を要することもある。そういうものが「いい本」だ。

「新書」は長い年月をかけて、「いい本」として、自分に寄りそってくれるかもしれない。

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