見出し画像

演劇の感想:project NG『短編演劇集』|ヒールアタック『トーキョーオールライト』|さまてまぴ『同じ穴の、同じ釜野飯男』

project NG『短編演劇集』

3月12日(土)14:00/札幌・BLOCH
『修学旅行』『日向のソナタ』『Re:prologue』

はじめて会ったときは大学生だった千智が、今は働いていて、自分のなかまたちと演劇をつくっている。劇団しろちゃんの後輩たちよりも、親心のようなものを感じていて、自分でびっくりした。たぶんはじめ彼女がBLOCHにいたころによく会っていて、その後はひんぱんに会うような関係でもなかったから、自分のなかで時間が飛んでいるんだと思う。とにかく、ちーちゃんももっさんも、よくがんばったね、おつかれさま、という気持ち。(何様だ)

作品の満足度もけっこう高い。雲くんやら諒希や和泉くんたち中堅(あえて言う)勢がしっかり下支えしている中で、いろんなエネルギーが好き放題やっていた。どうせならもっと好きにやってもと思いもした。しっかりやってあげたい先輩といろいろやりたい後輩に分かれるグループでは、どちらも遠慮しちゃうみたいなことがよく起こる。あまりよくない譲り合いの精神だ。とはいえ楽しそうだったからいいよね。

「修学旅行」は和泉くんのトーンで色付けされた作品だ。彼に当て書きをしたのかどうかは分からないけど、作品自体はそう仕上がっていた。個人的にはいろんな人が集まっている短編連作の企画で、はじめの作品で全員の顔が見られるのはけっこう嬉しかった。安心感があると言うか。顔も知らない人よりも顔を知っている人の作品を見たいと思う派です。

「日向のソナタ」は千智が書いた作品で、朝陽くんと雲くんと本庄くん。あと前田叶愛さん。もっさんも出てた。本当はこうありたかった先生像みたいなものを感じた(笑)。それは良いとして。朝陽くんはさすがの存在感というか、彼も場面にいるだけで、作品のムードがちょっと変わる印象がある。独特のリズム感と声をもっている気がしている。

話はテンプレート的ではあるんだけど、なんか普通にときめいた。演劇はラブストーリーに向かないと思っている。それは「愛してる」が恥ずかしい距離感だから。たとえばドラマや映画でも「愛してる」は気恥ずかしくて、音楽でもまだダメ。アニメとか漫画も、誰かと同じ空間で見るには厳しい。こんな印象を僕は持っていて、演劇なんか一番恥ずかしい。目の前で知らん人が知らん人に「愛してる」って言ってみろ。もう、そこで集中途切れるわ。と、思っていたんだけど、久しぶりに見たらそうでもなかった。「好き」が聞こえなくなる演出を久しぶりに目撃して、意外と現役でもやれるんだなと思ったり。僕もラブストーリーを舞台につくってみたい。

最後の「Re:prologue」がおそらく一番長かったのかな?俳優はほぼ全員出て、衣装も手が混んでいて、気合いが入っている。諒希の袴姿がうつくしい。いいぞ、もっとやれ。どうでもいいんだけど、袴にブーツってめっちゃいいよね。明治って感じ。あの作品って明治時代のイメージなんだろうか。警官が帯刀しているから廃刀令以前で、ていうことは自由民権運動が盛んになりはじめる頃で、そうなると作家の彼はかなり草分け的な存在か?などなど、僕の薄すぎる歴史技能がまったくクリティカルしないうちに、考えるのをやめた。朝ドラっぽい、フィクション。そう思うことにした。

せまい上に物の多い舞台の上に多くの出演者がいる。動線はかなり難しかっただろうな。良くも悪くもみんな力いっぱい演技しているから、誰を見たらいいのかすぐわかって助かった。諒希や雲さんが見てて安心感あるのはもちろん、ばんびさんが個人的には面白かった。「それっぽさ」の基準が僕と違ったりしていて、見ていておもしろかった。ラストシーンで少しだけ千智が出てくる。かわいい。それよりさらに少しだけキクケンくん。裸で縛られてる。かわいそう。

リプロローグということは、プロローグ=序幕をもう一度、ということだろうか。NGのG、五島くんは俳優として、今年から東京に出るらしい。札幌での終わりが、新しいはじまり。なんて普通のことを、ちょっと感動的に感じてみたりなんかして。東京での活躍を祈っています。売れっ子俳優になったら20万円分のアマゾンギフト券ください。


ヒールアタック『トーキョーオールライト』

3月19日(土)11:00/札幌・BLOCH

明治(っぽい)時代の話を見た次の週に、今度は昭和。昭和のアイドル。になりたい女の子の話。途中からバディシステムが採用されて女の子たちになる。多くの人に伝わらない表現なんだけど、劇団しろちゃんと北海演研の融合って感じの作品だった。良いところが相乗効果でさらに良くなっている。

「お手本が透けて見える」って、僕が学生のころ大先輩に言われたこと。じゃああんたにはお手本が透けて見える時期はなかったんですか?と若い僕は聞き返していた(心の中で)。まずは見て、やってみて、学ぶ。それを繰り返していくしかないと思うんです、凡人は。そういう意味で、ヒールアタック、次回も楽しみです。次は何に挑戦するんだろう。やがてどんなオリジナルにたどり着くんだろう。その道筋を見てみたい。

アイドルを夢見て上京する少女。宿舎でいっしょに暮らす友だちと、一緒にアイドルを目指すようになる。ふたりの歌が、あこがれのアイドルの心を動かす。なんとそのアイドルと宿舎のお母さんはかつての大親友だったのだ!というダブルバディシステムが採用されている作品。シンプルにね、いいですよね、友情っていうのはね。

若い俳優さんが多い中で、存在感を発揮しまくる長岡さん。奔放さと丁寧さがきちんと混ざっていてさすがだなあ。ただ個人的には、かなり長い間右腕を上げたままストップしていたことが印象的だった。筋肉痛になりそう。笑

あといいなと思ったのが、ベルメモアのヒラノコトネさん。上に書いた、宿舎のお母さんを演じていた。まず姿がうつくしい。きれいに体を動かすことって、俳優の基本だし、それができてるだけで存在感は段違いだ。年の離れた人物を演じるのって、なにかと考えちゃいそうだけど、体とセリフがしっかりしてればなにも心配ないよな。

永崎ちひろさんも気になった。まったく面識はない方なんですが、ヒールアタックの公演を予約するときに、どうしても公式予約フォームが見つからなくて、彼女の取り扱いURLから予約した。なのでそのときに名前を覚えた。ただ僕も演劇をつくる側だから思うんだけど、「〇〇さん扱いの予約リストでーす、確認してくださーい」のときに知らん人の名前あるとビビる。ごめんなさい。そんなことはどうでもよくて、顔立ちがはっきりしていて表情が伝わりやすいことと、なにより声がいい。セリフのリズム感も好きだった。落ち着いた声と小さな演技で、すごく丁寧に積み上げていく。そんな印象。

俳優は全員女性で、作家は男性。昔、「札幌女史会」という企画があって、脚本家は男性だった。どうして作家を女性にしないんだろう。どうせ「女性」と謳うなら統一したいと僕は思いそう。性別どうこう言うのにあまり意味はないけどね。それでも作家の言葉選びは好きだったし、話もしっかり組まれている。時代考証とかは分からないけど。だからこのチームでよかったんだなって思える、そんな印象のいいお芝居でした。

最後に。芝居を観るときは、すごく前のめりな気持ちで見た方がいいと思う。具体的に言うと、ちょっとでも面白かったら笑う。それだけで、もっと面白く感じられる。歌が始まったら手拍子をする。その方が楽しいと思う。「芝居はお客さんとつくるもの」という言葉を僕は疑っているけど、もし一緒に作れるとしたらそういうところからだ。なにがなんでも楽しんでやる、という気持ちでおもしろさを探していく。これからもそういしていきたい。


さまてまぴ『同じ穴の、同じ釜野飯男』

3月19日(土)16:00/札幌・レッドベリースタジオ

僕は学生の演劇を見るのがけっこう好きだ。特に対校祭が好き。もちろんいろんな面で、経験の多いおとなの劇団の方がすぐれているんだけど、学生の作品には僕が知らないリアルがあることが多い。それっぽいメッセージじゃなく、本当に今の彼らの心のなかにある何か。それは世代の違う僕には分からないもので、おもしろい。さまてまぴの演劇にも、その分からない何かがあった。

大学生4人。大人数にはなじめずのけものな4人が、仲良くつるんでいたはずが、実はそうでもなかった。みたいな話。終始イヤな雰囲気に包まれていて、客席と舞台の距離が近いもんだから、観客までそれに巻き込まれる。最悪。見に行かなきゃ良かった。そこまで思わせる表現力がすごい。特に目が離せなかったのは、佐藤優将くん。4人とも怒りを表現していくんだけど、彼の怒りの複雑さが印象的だ。脚本家のパワーだとも思う。とにかく物語の主役は優将。周りの3人もそれを理解して、あえてシンプルな演技を選択しているように思える。

俳優の表現がすごかった。空間に寄りそっていた。脚本へのこだわりがあった。などなど、僕でも見つけられるすごいところがたくさんあって、とてもおもしろい作品だった。プロモーションと作品そのものの関係性もすごく好きだ。いいね。

この作品は、仲良しだったはずの4人が、ケンカして、鍋食って終わりの話だ。驚くことに、本当にそれだけだったのだ。一番自分勝手でまわりを振り回していた人が、実は寂しがり屋でこの集まりを楽しみにしていたとか、各々内情はいろいろ見えてきて、それが共感できるポイントではあるのだけど、最後はとりあえずうどんだけでも食おうや、みたいな。なんていうか、諦めを感じる。しかも全員がそれに多少なりとも納得している。

関係性を崩壊させるわけじゃなく、かといって回復させるでもなく、終わる。まるで、もう全員が諦めているような雰囲気が、はじめから漂っていた。この終わりに込められたリアルさに、時代が見える気がする。諦めとは言ったけど、「もう私たち終わりでしょ」みたいな、やけっぱちの諦めじゃなく。きちんと今ここにあるつながりを大切に思い直して、それでいて終わりを待っている、みたいな。なにこれ。これがZ世代?さとり世代?まあ名前はいらないんだけど。

じゃあメッセージはなんだったのかって一瞬考えて、いやいや大きなメッセージなんてないことも今っぽい、とか思ったりして。僕は頭のなかですぐ「抽象的で分かりやすいもの」を求めてしまうけど、表現したかったのはもっと具体的でぐちゃぐちゃしたもの。そういうものなんだろうね、きっと。ちゃんと、いやな気持ちにさせられました。

購入&サポート、いつもありがとうございます!すごく励みになります。 サポートいただいた分で、楽しいことをつくったり、他の人のよかった記事をサポートしたりしていきます!