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演劇の感想:noisieeeee⇄project『ウミをたゆたう』/コサト公園『夕立やんで蝉しぐれ』/クラアク芸術堂『エダニク』

noisieeeee⇄project『ウミをたゆたう』

8月9日(月休)14時/札幌・&VOGUE

上演中はとても楽しかったのに、観劇後にいっさいの具体を覚えていない気がした。事実、いま思い出そうとしても、主軸のふたりの名前すら思い出せない。それでも、雨の日の昼下がりに、すこし暗い室内で心地よい時間を過ごしたことは覚えている。

どうやらギリシア神話をモチーフにした作品らしい。こういうとき「ぼくも文学にくわしい人だったら」と悔しくなる。悔しくなるくらいなら知識を得たらいいんだけど、面倒くさくてなにもしていない。とにかく、ぼくはギリシア神話をよく知らない。作中、神様っぽい感じの名前の人が何人かいた気がする。

ギリシア云々が分からないことで、かえって作品を楽しむことができたのかも。ぼくには「(心が)離れ離れになってしまった友だちと、もう一度会う話」に見えた。

コロナ禍で家庭内暴力が増えたらしい。コロナ離婚という言葉もあった。一方で「オンライン飲み会」とか「リモート帰省」とかなんとか、遠く離れた友だちや家族と会う方法も日本で一般的になった。

新型コロナウイルスがもはや新型でもなんでもないじゃんってくらいに浸透して、令和は、接続と分断の時代だ。あらゆるところで物理的な分断が発生して、思わぬところで接続する。もともとはインターネット上で起きていたことだけど、生活基盤にデジタルが進出してきたことで、現実社会にもこのブームがやってきたと思う。

そんな中で演劇をつくっている人たちは、ことさらに「ナマの質感」を求めているような気がしている。画面に向かって「アイシテル」と言っても10%も伝わらないと言わんばかりの、「ナマの質感」への執着を感じる。これがなんだか滑稽にも見えるけど、とてもやさしい心にも思える。ぼくはいまのところ、その分別をつけられていない。今回の作品は「ナマ」だから良かったんだろうか。どうなんだろう。

話がそれたけど、『ウミをたゆたう』は分断と接続が行われる話だった。友だちと距離をとって、距離をとられて、やがて仲直りをして、前みたいにとはいかないけど、それはそれで楽しそうな関係へ。

ぼくがぐっと引き込まれたのは、彼女たちの行動に「不安」を感じ続けたからだ。これでいいのかなと不安を抱えて、言葉が進んでは戻る、体はどことなく所在なさげで落ち着かない。この臆病さが、この舞台の中心を物語から、彼女たち自身に変えている気がした。

コサト公園『夕立やんで蝉しぐれ』

8月9日(月休)19時/札幌・カタリナスタジオ

クラアク芸術堂の小佐部さんと、女優の松里瑠夏さんによるユニット公演。第一回はオンライン配信のみだったのが、ようやく劇場上演に。パソコンで文字入力していると、コサト公演の公園になったりする。瑠夏は今度の『あゆみ』にも出演してもらう。

「夏」をテーマにした、男女の掌篇演劇が6本。関係性は同級生だったり、夫婦だったり、親戚だったりといろいろ。「恋人」として描かれた作品はなかったのは、あえてなんだろう。それも夏の思い出って感じでいい。

話のなかにも特に夏らしいなにかがあるわけじゃない。舞台はだいたい家とか公園とかで、海には行かないし。でも夏を感じるのは、夏に感じる要素をもっていたからなのかも。

なにかがはじまるドキドキ、トラブルでドタバタする、ぐだぐだと時間を過ごす、しょうもない思い出が増える、大切なものを失ったりもする、なにかが終わったと気づく。

たしかに暑中見舞いと言っていいような、とても気持ちいい劇後感だった。お届け物をもらった気分。

これまでの小佐部さんの作風なら、登場人物のひとりやふたり死んでもおかしくないようなできごともあるんだけど、「軽演劇」を銘打っているからか、ひとりも死ななかった。(小佐部さんに聞いたら「哲ならそうしてた」って言ってたから、クラアク芸術堂は安泰だなと思いました)

死なないだけで、喪失はいたるところにあって、なにかを得るよりも失うことのほうが多い時間だった。それを夏の終わりに見れたこと。うんたしかに「エモいな」って思ったよ、ちょっと笑いながら。「エモいな」って半笑いで言うくらいが、実はいちばん夏っぽいのかもなぁ。

クラアク芸術堂 特別公演『エダニク』

8月22日(日)15時/札幌・カタリナスタジオ

最初から最後まで3人しか出てこない。このお芝居の終着点は、どこにあったんだろう。

食肉工場の休憩室を舞台に、主義と立場のことなる3人が話している。部屋の外では一大事が起きていて、やがてトラブルの元種はこの部屋へと持ち込まれる。それをきっかけに、3人の会話はさらに紛糾していくことになる。

と、書いてしまうと、こんな感じ。あらすじだけ見ると、たいしておもしろくなさそうとか思うんだけど、これがさすがにおもしろい脚本だった。骨太で、破綻のない脚本は、むしろ平坦にさえ思えた。なのに、先に進んでいくワクワクは常にある。

だからこそ、3人の俳優が演じる人物の、内側を感じられなかったのが悔しい。ちょっとうるさすぎるんだよなぁ。吠えるほどに大変なできごとが起きてることは分かった、なぜ吠えているのかを教えてほしい。熱で乗り切るには、この脚本はすこしていねい過ぎたんだと思う。なぜこんなことになるのか分からないけど、もう少し脚本がつまらなければ、この公演はもっと面白かったんじゃないかとさえ思う。

とはいえ、3人の迫力とリズム感を揃えて進む作風が、エネルギッシュで楽しかったことも事実だ。たぶんいっぱい稽古したんだろう。方向性が違う3人の役者がそれぞれにコンビネーションを見せてくることも、チャラついた役にスーツを着せたり、関西弁をそのまま実現しようとしたり、俳優としての分かりやすい挑戦があったのも好感を持てる。哲(友だち、野球仲間)もがんばってた。よかったよ、哲。

で、ここで最初の一文に戻るわけだけど。このお芝居の終着点は、どこにあったのか。

お話は騒動のしばらく後、ふたたび部外者のイマイ(宮ノ森)がやってくるところで終わるんだけど、この話はなんのための話だったのか。まさかドタバタコメディってこともないだろう。ぼくとしては、ある意味「多様性」のようなものをテーマにしているのかなと思う。

主義主張の違う3人。それぞれに立場も違えば、守るべきもの違う。働く理由が違うし、望んでいるものが違う。そんな3人が、劇中、ついぞ理解し合うことはなく、ラストシーンでも理解し合わないまま、ひとつのことを行うために部屋を出る。そういう多様性と受け容れることをテーマにしているのかなと思った(見終わってから)。

ただ、それにしちゃあ、最終盤以前の3人が、ずいぶんと息が合っているというか、ズレが見当たらなかったんだよなぁ。いや、意図した断絶みたいなものはあったけど、あまりにもリズムがぴったりで。仲悪いぶってる仲良しに見えたというか。その辺りが少しもったいなかったよなぁ。

脚本が面白くて、しっかり練習したからこそ、物足りなく感じるって。なんか演劇あるあるって感じがする。どの方向に行くか、コンセプトはなにか。そのあたりをしっかり考えて劇作しようって思いました。


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