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異常性癖の私が、小説『正欲』を読んで思うこと

朝井リョウ作『正欲』を読んだ。

私は小説や映画を観た後、ネット上のレビューを読み漁り自分の抱いた感想が"多数派"であるかを確認しようとする癖があるが、
今回ばかりは多数派の感想を持ち得ないことを読み始めてすぐに分かっていた。
そのため、他の誰にも左右されないありのままの感想を残しておきたい。
(いつもに増して稚拙な文章だが、読み終わってすぐの気持ちを率直に綴ることを優先したい)

まず、本屋店員が薦める◯選などに頻繁にこの本がランクインしているのを見かけ、多くの人に共感される本なのだと思い手に取った。
しかし、物語の序盤で主人公が異常性癖の持ち主であることが分かったとき、
「これ、他の人の感想読めないな」と思った。

私は主人公と性癖こそ異なるが、同じ生まれながらにした異常性癖者だ。
物語の中で主人公たちが感じていた、
いわゆる「正しい」ものに性的興奮を抱けないことへの自己嫌悪、
多くの人がなんでもなくやっていることを性的な目で見て性的に消費してしまうことへの罪悪感。
そして、SNS上で初めて同じ性癖の人がいることを知った時の喜び。
これらがかなり写実的に描写されており、強制的に自分の心を覗かれている気さえした。

中学2年生の時に初めてTwitterで同じフェチの人を見つけた時の爆発するような嬉しい気持ちが、昨日のことのように蘇ってきた。
(その頃に同じフェチのアカウントはまだ数えられるほどだったが、とにかくとにかく嬉しかった。)

私もそうして物心がついた頃から悩んで考えて疑って、
性癖は私の根底だから、変えられないなら受け入れるしかないのだと、
20代頃からはそれなりに折り合いが付いてきた。
そうした気持ちを、この本では巧みに言語化されていて、その解像度の高さは怖くなるほどである。

性的対象は、ただそれだけの話ではない。根だ。思考の根、哲学の根、人間関係の根、世界の見つめ方の根。遡れば、障害の全ての源にある。
そのことに多数派の人間は気づかない。気づかないでいられる幸福にも気づかない。

朝井リョウ『正欲』より引用


この物語では、
異常性癖者たちの主観で、感情や欲望や人生をたっぷりと描く。
そしてその他大勢の正しい人たちが残酷なほど素直にジャッジし弾劾していく。
「キチガイは迷惑じゃなあ」「弾かれものは取り除かれるべき」
悪気なんて無い、100%の善意で正義心だ。
主人公たちにとってやっとのことで持てた奇跡的な繋がりが、頭おかしいやつらの暴走だと社会に決められ排除されていく。

この本を読めば正しい性欲を持った人たちでも、きっと異常性癖者たちの人生を追体験できる。分かった気になれる。なんとなく共感できる。それぐらい朝井リョウ先生の文章はすごい。
読む前の自分には戻れない」なんて帯にデカデカと書いてあったし。
小説は別の人の人生を追体験できるって言うし。
本来関わるはずのなかったはずの人生に、感情に共感できる。
それって、すごくグロテスクだ。

だから私は、この本を読んだ人の感想を読むのかとにかく怖い。
主人公たちの人生を通して、自分も見透かされているようで怖い。
理解できないけど容認はできると、上から目線で受け入れていただくのが怖い。


色々と悪口めいたことを書いてきたが、感想をわざわざ誰かに聞いて欲しくなるほど最高に面白い話だった。
「読む前の自分には戻れない」どころか、
自分自身の根底にあるものを直視レベルで見つめ直す良い機会になった。
私は小説『正欲』を生涯忘れないだろう。
自分から人には薦められないけど

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