大事な記憶のこと

時間を持て余して、読書にいそしんでいます。
山本ふみこ著「家族のさじかげん」1章を読んで、自分の小さいころの回想が止まらなくなり、文章に残しておきたくなりました。

小さいころは、田舎の家で3世代が同居していて、父方の曾祖母に子守をしてもらいました。子守歌替わりに桃太郎の話をしてくれたのも、母が仕事で家にいない時間にトイレでおしりを拭いてくれたのも、曾祖母です。パワフルな人で、80代になっても畑仕事をしたり、自分の衣服の洗濯をしたり、ひ孫の私の世話をこなしていました。
私を連れてお友達の家にお茶を飲みに行くこともありました。そこでは普段食べないような甘いお菓子をもらえたので、私は喜んで一緒に出掛けましたが、今思うと幼児とはいえあさましい態度で恥ずかしい思いをさせていたのではないかと心配です。

普段、夕飯の支度をしてくれたのは祖母でした。さんまを家族の人数分になるように切り分けて焼いたおかずや、ネギの蒸し物に酢味噌がかかったものや、いかと大根の煮物など、必ずしも子どもにとって魅力的なおかずではありませんでした。作ってもらって食べさせてもらっていたのに、あまり「おいしい」とか、「ありがとう」といった言葉を発した覚えがありません。
テレビを見ながら、市販のふりかけでご飯を進めるように過ごしていたのではなかったでしょうか。

私は曾祖母にとても懐いていたとよく聞かされるし、祖父母と一緒に出掛けて遊んでもらったり、ほほえましい思い出も多いです。ただ、いわゆる反抗期のような葛藤も普段世話してくれる曾祖母や祖母に向いていた記憶があり、感謝や喜びをストレートに伝えられる良い孫ではなかったなと思います。その少し仄暗い記憶を、大事な記憶だと思えるようになったのも、妊娠して子どもを迎えようとする今になってからです。

都会の核家族の一員として、私の子どもは生まれてきます。夫の両親は比較的近くにいるので、世話になることも訪ねてくれることもそれなりに頻回にあるとは思います。もちろん私の父母も、遠方から通って孫の顔を見にきてくれるでしょう。
それでも、毎日の暮らしを祖父母、曾祖母に世話してもらった自分の幼少期とは、やはりかかわり方は違ってくると思います。それが良いことなのかそうでないのかはわかりません。ただ、父母より少し遠い近親者の感覚、積み重ねた生活から来る落ち着き、ちょっとした家族の中の文化の幅みたいなものが少なくなるのではないかと、漠然と考えています。

自分に余裕がなくなったときや、こんな時私はどうしてもらっていたのだろうと振り返るとき、祖父母や曾祖母がいた環境を糧にして、子育てに臨みたいと思います。キラキラした記憶ばかりではないことが私の財産だと信じて、ふと流されると生きにくくなってしまうこの時勢を泳いでいきたいです。

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山本ふみこ 家族のさじかげん
社団法人 家の光協会 2007.8.1

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