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糸島に残した、あの頃の未練。

人生に何の後悔も無いと自分で思っても、偶にふと、「ああ、あの時こういう選択をしていれば…」と感じる時があって、そういう時は大抵、東京のキラキラとした夜景が脳裏に浮かびます。

そして大抵、酔っ払ってます(笑)


今月中旬頃、私が働く飲食店のママが持つ糸島市の畑に、東京から来た友達を連れて行きました。

隣町とは言え福岡市とは少し違った空気感の中で、自然と触れ合いながら生き生きと楽しそうに玉葱の苗を植える彼等を見て、「ああやっぱり東京の生活って息苦しいのかな。」なんて、お節介な類推をしてしまいました。

糸島市は、私が通った大学のある場所です。
(正確には福岡市西区なので、少し離れてはいるのですが。)

大学生時代(今から5年前くらいの時期)は、糸島市が大嫌いでした。

東京と言う名の刺激も、有名私立と言う名の慶應ボーイとの出会いも、私の人生ではこれらを当てにしないと決めたからのか何なのか、全部見て見ぬ振りをして通学を決めた地元の国立大学。

そんな選択をした私に当て付けのように全国区になった「糸島市」に、「いいや、私は都会の福岡市民なの。」と、シティーガールを謳って寄り付かなかった私。

糸島市に行くと、「ここには美味しい空気と海があるだけで何にも無いんだ。」と言う事が嫌でも認識させられて、「やっぱり東京に行けば良かったかも。」と言う、私の心の中で蓋をした感情が溢れそうになってきて、いつも早く帰りたい気分になっていました。

数ヶ月前、バイクに乗せられて久々に糸島を訪れた時も同じ。
やっぱり大学生時代を思い出して、少し感傷的な気分になってしまいました。

私の中で糸島市は、ただただ有名な場所と言うだけでなく、センチメンタルな気持ちにさせる場所でもあるのです。

スケジュールとお金の問題(偶には浪費をやめます。)で断念した3連休の新潟行き。

代わりに地元にて、「ワン九州ミュージアム」と言う団体主催の「日本酒×チョコレート×薩摩切子」をテーマにしたイベントに参加しました。

福岡の酒造に福岡のチョコレートショップに、鹿児島のガラス細工。

九州の素晴らしい文化に触れ、それを創る人々の話を聞いていると、私が糸島に怨念の如く残した東京への未練は、狭い視野でしか行動出来ていない自分への単なる言い訳なんだと、思い知らされます。

急遽行く事になった佐賀県の嬉野温泉の旅館で眠る今夜、あの未練が少しだけ、脳裏を掠めます。

でも心に浮かんだ東京の夜景も、1つ1つのピースを拡大すれば、満員電車で肩身の狭い思いをしながら自己を確立すると言う目に見えない暗黙の戦いが繰り広げられる場かもしれなくて、そこにうまく合致するピースになっている自分はやっぱり想像出来なくて。
森高千里さんの『渡良瀬橋』という歌に出てくる、「だけど私ここを離れて暮らすこと出来ない」という歌詞が、何故だか妙にニュアンスだけ、自分の心と共通しているような気がしてなりません。

先日、慣れ親しんだ会社を辞める事を決めると、どういう訳かいくつか、新しい挑戦のお誘いを頂きました。

生まれて25年間しっかり、グルメな福岡の街の蜜を吸いながら過ごして来た私ですが、意外にも周りの人からは、「何処ででも生きていけそう。」と言われます。
福岡の男以外知らずに育ったならず者ですので、その真偽の程は未だ不明ですが、最近感じるのは、くくりつけられた様に福岡から離れられないのは、そこに出会うべき人がいて、私にしか出来ない何かがあるからだ、という事です。
とは言えこれからどうなっていくか、私にも分かりません。(←ちゃんと考えなさい。笑)

ただ1つ今言える事は、「悪酔いに負けず、早く寝なさい。」と言う事。
慣れない日本酒ってダメなのかな?

P.S. 因みに私の自慢は、二日酔いをしない事。笑

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