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12/24 旅立ちの唄

昼間の暖かい陽射しは、いつの間にか厚い雲に覆われ、雨が降り出す。

冬の雨は、寒さの予兆だ。
今日よりも明日が、明日よりも明後日が寒い事を、冷たい雨が仄めかす。

バスに揺られ、窓の外を眺めながら、ふと、今朝見た夢を思い出す。

夢の中で私の母は、余命1ヶ月?か何かと申告され、私は母と、残り少ない日々を過ごす。
何故だか私は、母の寿命を見届ける前に、どこかへ旅立たねばならず、母と最期の会話をする。

次に私が故郷に帰って来る頃には、母はこの世にはいない。
その事実を想像し、涙ぐむ母親と抱擁する。生きている母親の温もりを忘れまいと、しっかりと。

わたしは、不謹慎ながら、夢の中で、母ばかりか、父や弟も死なせた事がある。
全く、サイコパスみたいだ。

今朝は、目が覚めて奇妙な感覚に襲われながら、ふと、最近(と言ってもここ1〜2年の間)、同じような夢を見た記憶に思い当たる。

その夢も今朝と同様、母が近々亡くなる事が分かっていて、でもわたしは母の最期を見届けられない状況にあり、家の近くを散歩しながら、母と最期の会話をする。

死期が近いのにも関わらず、しっかり会話も出来て散歩も出来るなんて設定は、夢らしく奇妙だが、夢の中でわたしは、限られた時間の中で、母に何を伝えるべきか、母に何を聞くべきか、必死になって考えていた。

この夢を見たのは、一体いつの事だっただろう。

正確な時期は分からないけれど、きっとこの頃だったと、思い当たる時期があった。

今から約1年半前、人生で初めて、1人暮らしをすると決めた頃のことだ。

あの頃、新居は実家から車で20〜30分だと言うのに、もうこの家で暮らす事はないだろうという予感めいたものがわたしの中で沸き起こり、少々大袈裟に、寂しい気持ちがした。

もう母に、いつ、何時でも、話が出来る訳ではない。

自分の中の大きな変化を、わたしなりに感じ取っていたのだろう。

今朝の夢もあの時と同様、わたしにとっては重要な意味を持つ。変化の時。別れの時。始まりの時。自立の時。

これから起こるであろう変化を見越してか、わたしの心が揺れ出した。

数日後、母親に会った時、母が最近、夢を見たと行っていた。

弟に、わたしが東京に行くと、話す夢だったらしい。

母も母なりに、何か感じていたのかもしれない。

母とは見た目も性格も似てないけれど、やっぱり母娘だ。

こんな時、ワクワク感を、少しだけ不安や孤独が追い越す。

2022年の門出に向けて、出発の汽笛が聞こえてきた。

とりあえず、2021年よ、さようなら。

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眠れない夜に

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