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実りは肥料によるのではなく、土づくりによって得る。


肥やしに頼り 大地を忘れる


最近家庭菜園に取り組んでいる人の話を耳にします。楽しいですよね。植えるもよし。眺めるもよし。そして食するもよし。

でも現実には失敗例をよく聞きます。

僕も美容師であって農業従事者ではないので、専門ではありません。しかしプロと家庭菜園の違いを聞くとすれば、『耕す』という行為。

趣味者は植える行為を楽しみ、耕すことになぜがない。だから表面の形を作ります。

しかし、プロはなぜの答えを知るので、形は必然であり、その目的自体を行います。すると、収穫を待つまでもなく、雑草の生え方であったり、芽がでてからの発育に違いがでます。

これが人だとどうでしょう。

自分の場合

初めて経験するにあたり、知らないことは本であったり講習を受けたり、学びを加えようとします。学ぼうとする姿勢は素敵ですね。

しかし、知識を身につければそれで活用できるでしょうか?

そつなくこなすことはできるでしょう。でも壁にぶつかることがあると思います。

壁は必ずといって生まれるものですが、その解決に向かう時必要なのが、
なぜ?という本来備えておきたいパーパスなのかなと思います。

目的の明確でない行動には迷いが生じます。ショッピングや観光のように思わぬ発見こそ面白いものであればよいですが、学問であったり仕事に関しては思わぬ発見ではなく、思わぬ壁となって表れてきます。

その時、目的がしっかりとしていれば、乗り越える道筋はきっと見えてきます。ナビのようなものですね。

これが耕すにあたる土壌になってきます。

教える側の場合

考え方は似ていると思いますが、とりあえずやってほしいこと、とりあえず覚えてほしいことから始めれば、いずれその目的がわからず、不満や先の不安となってくるでしょう。

そうならないためにも"なぜ?”にあたる目的(=パーパス)であったり、理念を伝えておき、共有できる土台が必要です。

間違っても絵画の代わりに掛けてある、陳腐であったり体裁のように掲げてある理念を共有するのはやめましょう。

目的や理念はきれいごとではなく、信条です。ないがしろにするのは、体裁を整えただけの耕しと同じです。

土壌がしっかりとすることで、その後の知識と経験が活かせるようになります。

さいごに

正直いきなり耕すのは難しいものです。習うより慣れろと言われるように、何度も何度も失敗を繰り返して出来るようになるものです。

でも信じています。

この土壌づくりの失敗の繰り返しと、発育後の肥料頼みでの失敗には必ず差が生まれます。

前者は未来につながりますが、後者は同じ轍を繰り返すものに。


時間がかかろうとも、土壌づくりが最終的には最短の道。

最短で最高の実りが得られますように。

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