有用無用もひと次第
桜の枝は切らぬが 檜の枝は切る
残すも切るも人次第
桜は枝あってこそ。満開の花を楽しむには枝は多い方が美しいですよね。
でも檜はどうでしょう。建築資材として用いるため、節ができないように枝を落とします。
木々と話をしたことはありませんが、木の生き方に関係なく、人の愛で方次第で枝を切るのか残すのか変わります。
樹齢が長く、枝を支えきれなくなってもなお、桜は補助されながら枝を残され、檜は適齢を決められ、枝を落とされながら時期になると切られていきます。
どちらの木も大事にされています。自然においては過保護といってもいいほどに。
過保護である理由は自然にはなく、人。
これが人だとどうなのでしょう。
扱いやすいように、より魅せてくれるようにとの思惑から、本人ではなく周囲の意志により育てられていく。
全部が悪いわけではありません。大人であれば、組織の中で必要なスキルを求められることも。子育てであれば先人として道を示すということも。
ただそれが、過剰になればなるほど、そして必要をはるかに超えてしまうと、その負担は非常に大きいものに。
あなたのためだから。
それが本当に「ためだから」であるのならともかく、多くの場合において言う側の欲なり見栄などが入れば、言われる側は辛い。
さらに自分の興味・特性関係なく、都合で取捨選択されれば我慢することも大きくなります。
聡明な皆さんはきっと理解されていると思います。
『あなたのため』
・相互の理解
・幾度となく話し、納得がいく
・未来に見てほしいもの、見えているものが輝いている
が必要であることを。
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