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言葉を紡ぐ#未来のためにできること

「やらなやられる」

父から聞かされた言葉。
父が戦争に関して祖父に聞いた時、唯一返ってきた言葉だそうだ。祖父はそれ以上を決して語らず、目線を逸らしたそうだ。

わたしは勿論、戦争体験はない。
しかし、小学生の頃聞かされたこの言葉が、わたしの脳裏から離れることはない。

父は理容室を経営している。そのおかげで、幾度となく戦争体験を聞く機会があった。目に涙を浮かべながら語るひと。後世に伝えるべきだと語るひと。青春の全てを賭けたと当時を懐かしむひと。武勇を誇らしげに語るひともいた。

話しを聞き写真等をみても、やはり遠い世界の話のようだった。

仕事に就き、戦争というものを考える機会は減った。そんな中、深く考える機会を得る。
30を前に、イギリスへ行く機会を持った。美容師としての渡航であるため、技術研鑽のみを思っていた。

機会を得るきっかけとなったのは、当時住んだシェアハウスでの出会い。

そこには戦争によって親族を亡くし、亡命をしたひと、民族浄化の憂いから亡命の道を歩んだひとがいた。

時はイラク戦争後。連日テレビでは情勢についての話題があがる。遠い世界で育ったわたしには、映画のような話。

初めは何も語らない彼らが、少しづつ口を開く。
「解放を謳う国を悪く言う気はない。しかし、現実はそんなものじゃない。話は国家間だけの問題。一般市民は耐え難い経験をしている」

そこからの話は平和な日本で育ったわたしには、とても衝撃な話だった。体験したもの以外がどう言葉にするのか…とても言葉には言い表せない。

それからというもの、報道と言うものの見方が変わる。
その裏には、どんなひとが生活をし、何を想うのかと。

わたしには手助けできる術はない。しかし何もできない自分に対する憤りと同時に、不条理なものへの苛立ちのようなものも感じるようになった。

ある日の事、民族宗教の問題から、知人グループが路上で尋問を受けていた。聞くと理由は理解するものの、「なぜ」という疑問も生まれた。そこで日本人なら中立であろうと、無謀にも割って入った。

すると突然銃口を感じる。口調は間違いなく同質の人間であろうとの懐疑も見えた。

命云々までもは思わなくとも、置かれる現状に恐怖を覚える。
「これがもし子供であったら…」
わたしと住んでいた人間は、この何倍もの恐怖を覚えたであろう。なにもできず、さぞ怖かっただろう。そして親族との別れ。

想像の域は永遠に超えないが、これが世界の標準なのかと感じた。

わたしには子供がいる。特別な何かを与えられるような立派な親ではない。子供も小学生となり、学びの中や報道で戦争と言うものを知る齢となった。
8月にもなると、質問の機会も増える。

そこで意識していることは『知りえた事実のみを話す』ということ。
経験のないわたしが感情を交えれば、誘導することにもなりかねないす。わたしは教えられるままに知識を得たので、偏見や誤解があることは否定できない。

だからこそ、子供には自分で考えてほしい。何が正解と言える問題でもない。そこにひとの生死がかかわるもの。これに関しては当然良しとはしない。それでも行為の理由は説けない。

前述のように、日本人としての戦争体験はよく聞けた。銃後の守りの女性からの話も聞いた。そして、今おこる問題の当事者からも話を聞けた。
それは機会をみつけ、すべて子供に話したい。

誤解を生むかもしれない。偏りがでるかもしれない。
それでも聞ける環境を得られたこと、それを伝えられる子供を得たこと、そして語ることができる平和な時が持てることに感謝し、伝えていきたい。

祖父は語ることはなかった。語れるものでもなかったのであろう。
父もそのままを伝え、自らの主観を説くことはなかった。
しかし、そのおかげでわたしは多くの話を聞くきっかけを貰ったように思う。

祖父から。父から。そして多くの経験者からの言葉。
これらの言葉をどう紡いでいくか。そして子供がそれをどう感じ、行動に移すか。もしかしたら消し去るのかもしれない。その決断も受け入れよう。

ひとつだけ確かなのは、紡がれた言葉は、今ここに存在する。

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